ハムレットのシンメトリー

Hamlet's Questions and One Man's Answers

32.『ハムレット』シンメトリー構成とその中心

 前回までで、『ハムレット』のシンメトリー構成の対称ペアは全て公開しました。しかしそれは私が見つけた限りのものですので、もしかすると他にも対称的に見る事ができるものがあるのかもしれません。

 今回からは、この『ハムレット』のシンメトリー構成全体についてを考察してみたいと思います。

 先ずは、完成したシンメトリー構成の表を見てみましょう。

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 さて、こうして全ての対称ペアが出そろいましたので、この『ハムレット』の対称構成をここではABCDEF| fedcba構成と呼び、それぞれの対称ペアは第一幕第一場と第五幕第二場であればA|aの形で呼ぶ事とします。

 

 以下にこのABCDEF| fedcba構成を簡単に振り返ってみます。

 

A|aは父ハムレットの亡霊とハムレットの遺骸が対称となっており、霊と体が表現されています。

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B|bは結婚式と葬式が対称となり、記憶と思いがほのめかされていました。

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C|cはフォーティンブラスとレアティーズが対称となり、四体液質による気質が表現されています。

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D|dハムレットの手紙とオフィーリアの歌う歌が対称となり、前近代的世界観と新哲学的世界観がほのめかされています。

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E|eは劇中劇とハムレットのイギリスへの渡航が対称となり、劇中劇に対して世界劇場が導かれました。

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F|fは身を隠して殺そうとする事と身を隠した者を殺す事が対称となり、さらに言葉と精気に関してが対象的に描かれていました。

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 これらの対称ペアは開幕と閉幕を両端とする線分で表現することができました。

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ABCDEF| fedcba構成

 さらに閉幕後のホレイショーの語りが重要な役割を持ち、この閉幕後のホレイショーの語りが演劇として見えるように形作られたのが『ハムレット』という演劇であると見なすことができました。これによって『ハムレット』という戯曲がウロボロスのような円環構造を持ったものと見なされる事も指摘しました。

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 『ハムレット』が円環するものと見なして、上の線分の両端である開幕と閉幕を繋げて全体を丸めてしまうと、以下のような図となります。

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     円環のABCDEF| fedcba構成

 

 左下が開幕、右下が閉幕で、その間の薄い藤色の部分が舞台上には表現されていない開幕以前と閉幕以後の部分です。この部分に閉幕後のホレイショーの語りが位置します。このホレイショーの語りは閉幕後に語られるため、開幕から閉幕までのABCDEF| fedcba構成には含まれていません。

 このような形にしますと、閉幕後のホレイショーの語りのある藤色の部分は、ABCDEF| fedcba構成の中心、つまりFf の間に対応しているように見えます。図の垂直の点線がそれを示しているのですが、このホレイショーの閉幕後の語りに対応していると思われるものが何であるか、もう一度F|f、つまりハムレットがクローディアスの殺害を狙う場面が閉じた後、第三幕第四場でハムレットがポローニアスを殺害してしまうまでを見て見てみましょう。この間は原文ではわずか25行程度です。短いので要約するよりは丸ごと引用してしまいましょう。

 

ポローニアス すぐに参りますでな。どうかきつく叱って下さいませ。

いたずらもこの頃は度が過ぎている、陛下のご立腹との

間に立って庇い続ける王妃さまの身のつらさなども

ようく話されてな。わたくしはもうしゃべりませぬ。

よろしいか、忌憚のないところをな。

ガートルード 大丈夫ですよ。

ハムレット [舞台裏]母上、母上、母上。

ガートルード きっとそうしますから。隠れて、ほら来たわよ。

              [ポローニアス壁掛けの後ろに隠れる]

              ハムレット登場

ハムレット 母上、何かご用でしょうか?

ガートルード ハムレット、お前のお父さまは大層お怒りよ。

ハムレット 母上、わたしのお父さまは大層お怒りですよ。

ガートルード なんですか、そのふざけたお返事は。

ハムレット なんですか、そのけしからぬ質問は。

ガートルード どうしたのです、ハムレット

ハムレット 何なのです、母上。

ガートルード あなたはわたしを忘れたの?

ハムレット とんでもない、忘れるどころか、

あなたは王妃だ、あなたの夫の弟の妻だ、

だがなによりも困ったことにわたしの母親だ。

ガートルード なんてことを、話のできる人を呼びましょう。

ハムレット いいえ、お座りなさい、動いてはなりません。

いいですか、ちゃんと鏡を立ててあげます、

あなたの本当の姿を見ることができるように。

ガートルード 何をするの!わたしを殺そうというの?

助けて、だれか来て!

ポローニアス [壁掛けの後ろで] 大変だ、助けてくれ!

ハムレット なに、鼠か? [壁掛けを通してポローニアスを刺す]

             よし死んだな、死んだぞ!

ポローニアス ああ、やられた。

ガートルード まあ、なんてことを!

ハムレット なあに知るもんですか。王ですか?

ガートルード なんて早まったことを!なんてむごいことを!*1

「この顧問官もまったくもって今は静寂、秘密を守って厳粛な死の姿、生きていたときはべらべらしゃべってばかりの間抜けじじい」(第三幕第四場)ドラクロワ 1835年



 さてこの中に
ABCDEF| fedcba構成の中心となり、閉幕後のホレイショーの語りと対応する箇所があるはずです。ガートルードの問いかけに対してのハムレットのオウム返しの受け答えは、対称性を感じさせはしますが、特にここには秘められた意味はないでしょう。その後、ハムレットはガートルードに向けて鏡を立てようとします。そして、この鏡がABCDEF| fedcba構成の中心だと考えられるのです。つまりABCDEF| fedcbaの文字列の真ん中の縦線がこの鏡だともいうことができます。対称構成は、鏡像構成とも呼ばれることもありますが、それを示すためにこの中心に鏡が置かれていると考えていいでしょう。

 これまでにも『ハムレット』の中心を探る試みがされていたのですが、研究者の見解は一致してはいなかったようです。それについて後藤武士の『ハムレット研究』から引用します。

 

さて批評家の多くはこの悲劇にclimaxまたは中心的転回点があると感じているが、どの点をそれとするかについては必ずしも一致していない。Claudiusが犯した罪の重荷の下で祈ろうとする場(Ⅲ.ⅲ)を転回点とみるGranville-Barkerの如きはむしろ例外的で、多くはMouse-trapとか劇中劇と称せられるⅢ.ⅱか、Bed-chamberとかclosetの場と称せられるⅢ.ⅳか、両者のどちらかを中心点とみている。*2

 

 この本では以下4ページ以上にわたってそれぞれの研究者の『ハムレット』の中心についての見解と主張が記されています。『ハムレット』のシンメトリー構成を提唱した先達であるKeith Brown*3は第三幕第四場の王妃の居室の場の父ハムレットの亡霊の登場を中心点と見なしていたようです。王妃の居室の場を中心とする研究者は他にもいたようですが、その鏡が中心として機能しているということまで指摘した研究者は、この『ハムレット研究』に書かれている限りではいなかったようです。

 このように『ハムレット』の中心がどの箇所であるかは、研究者の間でも一致していなかったのですが、ここで鏡が与えられている役割を考えれば、まさにこの鏡が中心的転回点であるということを示していると言っていいと思うのです。次回はこの鏡の役割についてさらに考察を深めていきたいと思います。

 

 



*1:ハムレット』の引用は、大場建治訳、注解 シェイクスピア選集8 ハムレット 研究社 2004年から

*2:藤武士 『ハムレット研究』研究社 1991年

*3:Keith Brownの『ハムレット』のシンメトリー構成については前掲書を参照。以下に簡単に解説してあります。

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