ハムレットのシンメトリー

Hamlet's Questions and One Man's Answers

51.Q1の”To be, or not to be”

 さて前回からの続きで、『ハムレット』のQ1に関してです。まずは前回のおさらいを簡単に。『ハムレット』にはQ1と呼ばれるテキストがあるのですが、このQ1は通常の『ハムレット』の半分程度の長さしかなく、その内容もあっさりしています。そのためこれは『ハムレット』の舞台に立った役者の記憶によって再構成されたものだという説がとなえられました。また、『ハムレット』の地方巡業のための版であるという説もあります。どちらにしろ、完全な『ハムレット』から短縮されたのがQ1であると考えられています。
 それとは逆にQ1は初期のバージョンでそこからQ2やF1に見られるような完全な『ハムレット』ができたという説もあります。私自身もそのように考えているのですが、今回はQ1の内容を見ていきながらなぜQ1が『ハムレット』の初期のバージョンであると考えられるかを記していきたいと思います。
 このように書くとまるで定説に対して反旗を翻しているかのようですが、実のところQ1初期バージョン説はわりと聞かれ、現代ではそのように考えている学者も多いようです。光文社古典新訳文庫ハムレットQ1』の訳者解説を読みますと、訳者の安西徹雄氏も単なる海賊版でなく初期バージョンであると考えていたようです。*1

 実際、どのように違うのか”To be or not to be,”から始まるハムレットの独白を見てみましょう。下の画像は、Q1, Q2, F1の三つの版でのこの独白部分です。

3つの版のハムレットの"To be,or not to be,"の独白
左からQ1,Q2,F1

 

 一目見てわかるのが、やはりその長さです。Q1の独白は3分の2くらいの長さでしょうか。その内容を詳しく見てみましょう。光文社古典新訳文庫のQ1の独白部分です。

 

 1  生か死か、問題はそれだ。
 2  死ぬ、眠る。それで終わりか?そう、それで終わり。
 3  いや、眠れば、夢を見る。そうか、それがある。
 4  死んで、眠って、目が醒めて、
 5  永遠の裁きの庭に引き出される。
 6  そこからは、一人の旅人も帰ってきた例のない、
 7  まったく未知の境。そこで神のお顔を拝し、
 8  救われた者はほほえみ、呪われた者は、
 9  そうなのだ、これがなければ、
10  誰がこの世の有為転変を忍ぶだろう。
11   (力のある金持ちは嘲り、貧乏人は金持ちを呪う)
12   (やもめは虐げられ、みなしごはひどい目にあう)*2
13  飢えに耐え、暴君の悪逆に耐え、
14  幾千の辛苦に耐えて、
15  この忌まわしい人生の重荷を背負って、
16  汗にまみれ、喘ぎ、呻く者がどこにあろう、
17  ただ短剣を一突きすれば、それで一切が終わるというのに。
18  死後の世界を思うからこそ、
19  心は乱れ、おののき、
20  今のこの世の災厄に耐えるほうが、
21  見も知らぬ国に飛び立つよりは、まだしもと思いとどまってしまうのだ。
22  そう、こうして、この良心という奴が、われわれすべてを臆病者と化してしまう。
23  あ、オフィーリア。祈っているのか。私の罪のことも忘れずに祈ってくれ。*3

 


 これをF1の翻訳である大場建治訳の独白部分と比べてみましょう。

 

 1   存在することの是非、それが問題として突き付けられている。
    どちらが高潔な人間か、狂暴な運命の
    矢玉を心中じっと堪え忍んで生き続けるのと、
    打ち寄せる困難の海に敢然武器を取って
 2  立ち上がって一切の決着をつけるのと。死ぬ、眠る、
    それだけのことだ。それで、眠ることで、心の痛みも、
    肉なる者の宿命であるもろもろの苦しみも、すべてに
    終止符を打つことができるのだとしたら、それこそは望みうる
    最高の大団円ではないか。死ぬ、眠る、
 3  待てよ、眠れば夢を見るかもしれぬ。そうか、そこでつかえるのか。
    人間界のわずらわしい桎梏をきっぱり解き放ったあと
 4  死の眠りの中でどんな夢を見るか、そこでだれしも
    立ち止まってしまうのか。そうでもなければ、だれが
    これほどまでに長びかせることがある、人生という災難を、
10  だれがいつまでも耐え続けることがある、時代の鞭と嘲りを、
11  権力者の不正を、傲慢の徒の無礼を、
 ≀  さげすまれた恋の痛みを、裁判の遅延を、
 ≀  役人どもの尊大な態度を、真に価値ある人がひたすら隠忍
13  自重して下劣な徒輩の足蹴を甘受するのはいったいなぜだ、
16  裸の抜身の一閃で安らぎの総決算が
17  できるというのに、いったいだれが人生の重荷を背負って、
15  うめき汗して旅を続けていく事がある、
18  それもこれもただただ死後への怖れ、その世界はといえば、
 6  旅人の帰らざる彼岸の
    未知の国、だれしもがそこで思い煩い、
20  この世で慣れ親しんだ労苦の忍耐の方を選び取ってしまう、
21  得体の知れぬ他国の苦難の中に飛び込むよりも。
22  こうした思いがわれわれすべてを怯懦に仕立てる、
    決意本来の血の色が物思いの
    蒼白な病いの色に覆われてしまう。
    乾坤一擲の大事業がつい横道にそれて
    行動の名を失ってしまうのも
    つまりはこのためなのだ。あ、待て、
23  あれはオフィーリアか?  ―森の女神、あなたの祈りの中に
    この身の罪の許しも。*4

 

 Q1の行の冒頭に行数をふりました*5。F1の翻訳文につけた数字はQ1で意味の上で対応する行です*6。このようにQ1とF1では大体同じような事を言っているようですが、Q1の方がなんだかわかりやすいように感じられます。なぜそのように感じられるのか、細かく見ていってみたいと思います*7
 まず、Q1の内容を要約すれば「この世の苦しみに耐えて生きるよりも、死の眠りの方が安らかではないのか?しかし死後には裁きがある、生きている者がまだ誰も体験した事のない死後の裁きへの希望から*8、人は死の眠りではなく、この世の苦しみに耐えて生きる事を選ぶのだ」というような事かと思います。
 Q1の独白は23行ですが、F1の中に意味の上でほぼ対応する行を見る事ができます。しかし対応が見られない行が2つだけあります。5行目の「永遠の裁きの庭に引き出される。」と8行目の「救われた者はほほえみ、呪われた者は」です。これらはQ1にだけある表現です。F1にはこの死後の裁きに関しては表現はなく、表現されているのは死後が生者にとって全く未知で恐るべきだという事です。 

 これとは逆にF1にしかないものもあります。その一つがF1の2行目から5行目にかけてです。

 

     どちらが高潔な人間か、狂暴な運命
     の矢玉を心中じっと堪え忍んで生き続けるのと、
     打ち寄せる困難の海に敢然武器を取って
     立ち上がって一切の決着をつけるのと。 

 

 Q1では人生の困難に耐えるか、それとも死の眠りを選ぶかでしたが、F1のこの箇所では困難に耐えるか、それとも武器を取って困難に立ち向かうかという選択肢が描かれています。ここには自殺を連想させる表現ではありません。しかしこの後、F1の独白の中ほどには「裸の抜身の一閃で安らぎの総決算ができるというのに、いったいだれが人生の重荷を背負って、うめき汗して旅を続けていく事がある」とあり、自殺という選択肢が描かれています。

このようにこの独白の中には、

a. 人生の困難に耐える

b. 困難に武器を取って立ち向かう、

c. 短剣の一突きで自殺

これらの3つの選択肢があるようです。しかし、b.とc.が別々にa.とともに並べられ二者択一の選択肢の一つとなっているのです。さらに冒頭の”To be, or not to be,”が二者択一の表現でもあるので、ここに3つの人生の選択肢があるようには見えにくいのです。そのためこの独白全体がわかりにくくなっているのです。
 3つの選択肢がこのように描かれていることで”To be, or not to be,”の解釈に混乱が生じるのです。後藤武士『ハムレット研究』によると、この”To be, or not to be,”の解釈には大きく分けて以下の5つの説があると言います。

 (1) 自殺を考えているという説
 (2) これから果たすべき自己の任務について考えているという説
 (3) 自分に関してではなく、一般論としての語りであるという説
 (4) 意味がよくわからぬという説
 (5) 折衷または綜合説

 
 これらの説の中で(1)(2)はもっとも主要な2つの説です。これらに関しては先に考察した3つの選択肢がこれらの説の根底にあることがわかるでしょう。ここで着目したいのは(4)の意味がよくわからぬという説です。

 

L.C.Knights も「Hamlet の心中にあるもろもろの想念の中に、王に対する敵対行動、自殺、それと死後の生の性質についてのものがあることは明らかであるが、その推移が明瞭でない。そこで正確なパラフレイズをしようとするとたちまち困難にぶつかる」と1つのアイディアと他のアイディアとの論理的連鎖が曖昧であることを指摘している。*9

 意味がよくわからぬという説の解説にこのように書かれていますが、私もこの意見が正直なところだと思うのです。ここであらためてQ1の独白部分を読むとすっきりして首尾一貫しているかがわかるでしょう。
 先にも記しましたが、Q1の独白の23行のほとんどがF1 の独白の中に対応する行を見つけることができます。これらの事からQ1が初期のバージョンでそれが改訂されたものがQ2、F1であるのだと思われるのです。つまりQ1の独白を分解し改訂して膨らませ、新たな内容をさらに付け加え配置したのがF1の独白であると思うのです。その結果、もともと首尾一貫していたQ1の内容から、F1では「1つのアイディアと他のアイディアとの論理的連鎖が曖昧」なものとなってしまったのです。
 Q1にはなくF1に付け加えられた箇所がもう一つあります。最後のオフィーリアに気づく前の部分です。

 

     決意本来の血の色が物思いの
     蒼白な病いの色に覆われてしまう。
     乾坤一擲の大事業がつい横道にそれて
     行動の名を失ってしまうのも
     つまりはこのためなのだ。

 

 これを読むと、ここには憂鬱質の性質が表現されていることがわかります。死後の世界がいかなるものかという答えの出ない超地上的な問題に悩まされ現実の行動に移せないといったまさに黒胆汁質の典型です。つまりF1では憂鬱質の性質の表現が付け加えられているのです。
 これらのQ1にはなくF1に付け加えられている箇所によってこの独白は、全体の意味が分かりにくくなりながらも、ハムレットの性格がより強く表現されたと言っていいでしょう。
 また、F1ではQ1に対応する部分でも多くの部分の表現が変わっています。原文を見てすぐに気づくのが、もっとも有名な最初の台詞”To be, or not to be, that is the question.”がQ1では”To be, or not to be, Ay there’s the point.”であることです。「生きるか、死ぬか、それが問題だ」ではなく「生きるか、死ぬか、あぁそこに核心がある」といったような意味となるでしょう。
 さらに独白の中ほどにこの世の苦難を具体的に述べている箇所がありますが、Q1、F1とでは雰囲気が異なります。それぞれを見てみましょう。まずはQ1です。11行目から16行目です。

 

     (力のある金持ちは嘲り、貧乏人は金持ちを呪う)
     (やもめは虐げられ、みなしごはひどい目にあう)*10
     飢えに耐え、暴君の悪逆に耐え、
     幾千の辛苦に耐えて、
     この忌まわしい人生の重荷を背負って、
     汗にまみれ、喘ぎ、呻く者がどこにあろう、


 
 F1でこれと対応する箇所と比較してみましょう。

 

     誰がいつまでも耐え続けることがある、時代の鞭と嘲りを、
     権力者の不正を、傲慢の徒の無礼を、
     さげすまれた恋の痛みを、裁判の遅延を、
     役人どもの尊大な態度を、真に価値ある人がひたすら隠忍
     自重して下劣な徒輩の足蹴を甘受するのはいったいなぜだ、

 

 この二つを読み比べると、Q1 の方は貧困にあえぐ民衆を描いているように感じられるのに対して、F1では貧困などではなく人間関係の苦難が表現されているようです。これらから観客としてQ1では地方の民衆が、F1では都会の市民が想定されているように思われるのです。F1の『ハムレット』はロンドン郊外のグローブ座で公演されたのは確かですが、Q1のバージョンはやはり地方への巡業公演で使われたのかもしれません。
 このように考えると、Q1では死後の裁きが描かれていたのが、F1では死後の得体の知れない事の不安が強調され、死後の裁きについては描かれていないのも都会の観客を意識したものなのかもしれません。もはやこの時代の都会の生活者には死後の裁きが前提とされるよりも、未知の死後の不安の方が共感を得られたのでしょう。原文を見るとこの事を端的に表す箇所があります。Q1の18行目の原文は”But for a hope of something after death?”(しかし、死後にあるいくらかの希望のために)となっていますが、F1ではこの文の”hope”(希望)が”dread”(恐れ)に変わり”But that the dread of something after death”(しかし、死後にある何か恐るべきもの)となっているのです。

 さて、もともとシンプルだったQ1の独白ですが、それにあれこれ付け加えた結果、”To be, or not to be," の独白は意味が取りにくいものとなってしまったと私は考えるのです。しかし、こういうことはパソコンなどで文を書いていて経験した事のある人は多いのではないでしょうか?最初に書いた文に、あれもこれも付け加えたいと思って、元の文章を切り貼りし順序を入れ替えたりして、良かれと思ってやってみた結果、よくわからない文章になってしまったという事です。『ハムレット』もそのような面があると思うのです。その結果、『ハムレット』は「芸術的には失敗作」とか「上演するには長すぎる」「よくわからんことがいっぱい」とか言われたりするのです。しかし、考えてみれば私たちが考えを巡らせるままにすると支離滅裂となることもありますし、それが思い悩んだ独り言であればなおさらでしょう。ハムレットの独白を論理的に解明しようとする事があまり意味のない事なのかもしれません。ハムレットの独白に違和感がないのはそのためでしょう。それにこのよくわからない謎めいた部分が『ハムレット』の魅力となっているのですから。

 このようにハムレットの独白一つを取ってもQ1が20世紀に考えられていたように劣った海賊版であるとは思えないことがわかるでしょう。Q1にはまだまだ面白い特徴がありますので次回はこのQ1全体を見てみたいと思います。

 

 

 

*1:「私はこれを、そもそも単なる海賊版とは見ていないのだ。実をいうと、シェイクスピアハムレット伝説を劇化する前、すでに彼を主人公にした劇が上演され、しかも大いに評判を呼んでいたことを示す証拠がある。シェイクスピアは作者不詳のこの古い劇(残念ながら本文は現存しない)を全面的に書き換え、新しい『ハムレット』を創りあげたわけだが、『ハムレットQ1』は、この改作の過程の初期段階を表しているのではないか、そして、Q2はさらにその次の段階を、F1は、これにさらに手を加え、実際の上演用に改編した形をしめしているのではないかー 私はそう考えたのである。(光文社古典新訳文庫ハムレットQ1』安西徹雄訳 「訳者解説—『ハムレットQ1』について」より)

*2:この括弧でくくった二行は光文社古典新訳文庫の『ハムレットQ1』では訳されていませんでしたので拙訳で補いました。

*3:安西徹雄訳『ハムレットQ1』光文社古典新訳文庫 2010年

*4:大場建治訳、注解 シェイクスピア選集8 ハムレット 研究社 2004年

*5:行数をふった原文は以下のとおり

 1  To be, or not to be, Ay there's the point,
 2  To Die, to sleep, is that all? Aye all:
 3  No, to sleep, to dream, aye marry there it goes,
 4  For in that dream of death, when we awake,
 5  And borne before an everlasting Judge,
 6  From whence no passenger ever returned,
 7  The undiscovered country, at whose sight
 8  The happy smile, and the accursed damn'd.
 9  But for this, the joyful hope of this,
10 Who'd bear the scorns and flattery of the world,
11 Scorned by the right rich, the rich cursed of the poor?
12 The widow being oppressed, the orphan wrong'd,
13 The taste of hunger, or a tyrants reign,
14 And thousand more calamities besides,
15 To grunt and sweat under this weary life,
16 When that he may his full Quietus make,
17 With a bare bodkin, who would this endure,
18  But for a hope of something after death?
19  Which puzzles the brain, and doth confound the sense,
20  Which makes us rather bear those evils we have,
21  Than fly to others that we know not of.
22  Aye that, O this conscience makes cowards of us all,
23  Lady in thy orizons, be all my sins remembered. 

 

*6:対応するQ1の行数をふった原文は以下のとおり

 

 1  To be, or not to be,that is the question;
    whether 'tis nobler in the mind to suffer
    The slings and arrows of outrageous fortune,
    Or to take arms against a sea of troubles,
 2  And by opposing end them. To die, to sleep,
    No more; and by a sleep to say we end
    The heart-ache and the thousand natural shocks
    That flesh is heir to, 'tis a consummation
    Devoutly to be wished. To die, to sleep;
 3  To sleep, perchance to dream. Ay, there's the rub;
 4  For in that sleep of death what dreams may come
    When we have shuffled off this mortal coil,
    Must give us pause. There's the respect
    That makes calamity of so long life,
10  For who would bear the whips and scorns of time,
11  The oppressor's wrong, the proud man's contumely,
 ≀  The pangs of disprized love, the low's delay,
 ≀  The insolence of office, and the spurns
14  The patient merit of the unworthy takes,
16  When he himself might his quietus make
17  With a bare bodkin? Who would fardels bear,
15  To grunt and sweat under a weary life,
18  But that the dread of something after death,
 7  The undiscovered country, from whose bourn
 6  No traveller returns, puzzles the will
20  And makes us rather bear those ills we have,
21  Than fly to others that we know not of ?
22  Thus conscience does make cowards of us all,
    And thus the native hue of resolution
    Is sicklied o'er with the pale cast of thought,
    And enterprises of great pith and moment
    With this regard their currents turn away,
    And lose the name of action. Soft you now,
23  The fair Ophelia? --- Nymph, in thy orisons
    Be all my sins remembered.

*7:以下の記述でQ1と通常の『ハムレット』の比較をしますが、後者はF1と表現します。このブログではF1の翻訳テキストを主に使っているためです。歴史的にはF1よりもQ2のほうが先行していますので、以下の記述では若干、表現のしかたに違和感がある箇所があるかもしれませんが、了承していただければと思います

*8:安西徹雄訳には表現されていませんが、Q1のこの独白の原文では死後の裁きへ"hope"(希望)という語が9行目と18行目の二カ所に使われています。

*9:藤武士 『ハムレット研究』研究社 1991年 176ページ

*10:この括弧でくくった二行は光文社古典新訳文庫の『ハムレットQ1』では訳されていませんでしたので拙訳で補いました。