ハムレットのシンメトリー

Hamlet's Questions and One Man's Answers

47.アムレートからハムレット

 シェイクスピアは『ハムレット』をはじめとする多くの戯曲作品の他に詩も残しています。その中でも『ソネット集』はいくつか翻訳もされていて有名かと思います。このソネットというのは詩の形式で十四行詩と呼ばれるように14行で特定の押韻構成があります。この押韻構成について、ソネット集 - Wikipedia18番のソネットが例として挙げられていますのでそのまま貼り付けさせてもらいます。

 

Shall I compare thee to a summer’s day? - (a)
Thou art more lovely and more temperate. - (b)
Rough winds do shake the darling buds of May, - (a)
And summer’s lease hath all too short a date. - (b)

Sometime too hot the eye of heaven shines, - (c)
And often is his gold complexion dimm’d; - (d)
And every fair from fair some time declines, - (c)
By chance, or nature’s changing course, untrimm’d; - (d)
But thy eternal summer shall not fade, - (e)

Nor lose possession of that fair thou owest; - (f)
Nor shall Death brag thou wand’rest in his shade, - (e)
When in eternal lines to time thou grows’t: - (f)

So long as men can breathe or eyes can see, - (g)
So long lives this, and this gives life to thee. - (g)
— ソネット18

 1行目のday3行目のMayが、2行目のtemperate4行目のdateが脚韻を踏みます。この4行の押韻ababと表現すると、14行全体の押韻abab cdcde fef ggとなります。さらにそれぞれの詩行は弱強五歩格となっています。脚韻によって音が響きあい、韻律でリズムを刻みます。そのソネットの形の上に詩の内容があるのです。

 さて、なぜソネットの形式を説明したかといいますと、abab cdcd efef ggといった押韻構成が、なんだか『ハムレット』のABCDEF| fedcba構成に似ているようなところがあるからです。ソネットにおいては脚韻の響きが対応しあい、『ハムレット』のABCDEF| fedcba構成では劇中の出来事が対応しあうため、対応する要素はまったく種類が異なるのですが、もしかしたらシェイクスピアは多くのソネット作品を書いていく中で、一つの作品世界の中に対応し響きあう要素を形作る事に魅力を感じ、そのような形を戯曲作品に応用しようと考えたのではないのでしょうか?そしてそこに前回のブログ記事で記したように、印刷製本からのアイデアが加わりABCDEF| fedcba構成が形作られていったのではないかと思うのです。

 ソネットでは弱強五歩格とその十四行の中に定められたabab cdcd efef ggという押韻構成が骨組みとなり、そこに詩で歌われる題材が肉付けされて一つの作品が出来上がります。個々の作品よりも先にソネットの形式があるのです。それでは『ハムレット』もABCDEF| fedcba構成が骨組みになっているのかというと、そうではありません。なぜなら『ハムレット』の創作過程で先にこのABCDEF| fedcba構成のアイデアが骨組みとしてあったわけではなく、ストーリーの方が先行していたからです。
 シェイクスピアの多くの戯曲がそうであるように『ハムレット』もまったくの創作ではなく、題材となった作品を持っています。それは『原ハムレット』と呼ばれており、現在ではすでに失われているのですが、『ハムレット』の十年ほど前の1594年に上演されたと言う記録が残っています。この『原ハムレット』もシェイクスピア作であるという説さえあるのですが、いずれにせよ『原ハムレット』も『ハムレット』ももともとはスカンジナビアの伝承を基にしています。 そしてその伝承は十二世紀のサクソ・グラマティクス『デンマーク人の事績』の中のアムレートの物語として私たちにも読むことができます。*1

17世紀デンマークの写本に描かれたアムレート (ウィキペディアから)

 このスカンジナビアの伝承をもとに『ハムレット』が書かれたということは、このアムレートの物語、あるいはそれに由来する物語の方が作品の骨組みとして、肉付けられていったのはABCDEF| fedcba構成だったと考えられるのです。もとの題材であるアムレートの物語には、対称構成はなかったため、『ハムレット』にその対称構成を形作るためにはいくつかの点を新たに創作し取り入れる必要がありました。その結果、大まかなストーリーといくつかの出来事はもとのアムレートの物語と共通していながらも、他のいくつかの点では大きな変更がなされたのです。
 ニューケンブリッジシェイクスピア版『ハムレット』の序論*2によれば、このアムレートの物語と『ハムレット』を比較すると、以下の点が『ハムレット』において変更された点であるとされています。
(1)殺害が秘密となる。
(2)亡霊がハムレットにその謀殺を告げて復讐を促す。
(3)レアティーズと若きフォーティンブラスが取り入れられる。
(4)オフィーリアの役割が広がり大きくなる。
(5)旅役者とその芝居が取り入れられる。
(6)ハムレットは復讐を果たすと共に死ぬ。
 これらの六つの変更点をABCDEF| fedcba構成と照らし合わせて見ると、そのどれもがABCDEF| fedcba構成に欠くことはできない要素であることがわかります。つまりこれらの変更点は前半部と後半部の対称構成を形作る意図のもとに加えられたと考えられるのです。それぞれについて詳しく見ていきましょう。まずは以下にABCDEF| fedcba構成の簡単な表をあげます。

ABCDEF| fedcba構成
(1)殺害が秘密となる。
 アムレートの物語ではアムレートの叔父フェングによるアムレートの父ホルヴェンディルの殺害は隠されておらず、そこから復讐へとつながる物語全体の中の一つの出来事です。 それに対して『ハムレット』ではクローディアスによる殺害は秘密にされており、この事によってその殺害は舞台では表現されない過去の出来事となり、亡霊の語りによって初めて明かされる事となります。しかし亡霊という存在からのものであるためにそこには疑わしさが伴っているのです。
 ここには過去、亡霊、疑わしさ、語りによる表現といったNot to beの要素が殺害が秘密にされる事によって生まれていることが分かるでしょう。To be Not to beの対比的な関係はABCDEF| fedcba構成の最も大きな効果であり、殺害が秘密である事はこの構成に欠くことはできないのです。

 

(2)亡霊がハムレットにその謀殺を告げて復讐を促す。
(6)ハムレットは復讐を果たすと共に死ぬ。
 この二つの変更点はA「亡霊が胸壁上に現れる」とa ハムレットの亡骸が高檀に上げられる」の対称関係に関わっています。この変更点(2)と(6)は対称場面Aa の別の面という事が出来ます。A|aが対称関係であるように、この(2)と(6)の二つの変更点も(2)亡霊がこの世に現れて復讐を促す、(6)ハムレットが復讐を果たしてこの世から去る、というように表現を変えると対称関係になっている事が分かるでしょう。アムレートの物語では亡霊の出現はなく、アムレートは復讐の後にも生き続け物語りは続いていきます。

 

(3)レアティーズと若きフォーティンブラスとが新たに取り入れられる。
 これらはC|cの対称関係に必要な変更点です。アムレートの物語ではこれら二人に対応する人物は登場しません。

 

(4)オフィーリアの役割が広がり大きくなる。
 『ハムレット』ではオフィーリアがポローニアスによってハムレットの狂気のテストとして使われています。この元になった場面がアムレートの物語の中にもあり、やはりアムレートの心を探るために幼馴染の美女が遣わされます。しかしアムレートの物語ではこの女性の役割はこの場面のみです。オフィーリアの役割で大きくなった点はオフィーリアの狂乱とその死と葬式であるといっていいでしょう。つまりオフィーリアの役割が大きくなっているのはB|bD|dの対称関係が作られたためだと考えられます。

 

(5)旅役者とその芝居が取り入れられる。
 これは劇中劇の事ですが、劇中劇がハムレットのイギリスへの渡航E|eとして対称であることは先に見たとおりです。アムレートの物語でもイギリスへの渡航はそのストーリーの中にあり、やはりフェングのアムレート殺害計画の下に進められます。『ハムレット』ではこのイギリスへの渡航から「クローディアスによるハムレットのための計画(プログラム)」という命題が抽出され、それに対して「ハムレットによるクローディアスのための演目(プログラム)」という命題の下に劇中劇が構想され配置されたのではないでしょうか。
 このように見るとアムレートの物語と『ハムレット』との六つの大きな相違点はABCDEF| fedcba構成の対称関係を形作るために、生まれたのではないかと思われるのです。六つの変更点にはF|f は関係していないが、これもハムレットがポローニアスを殺害する場面の原型となるエピソードがアムレートの物語にはあります。そしてそれと対称関係になるようにハムレットによるクローディアス殺害の断念が新たに付け加えられたのです。
 また、時代設定が『ハムレット』ではシェイクスピアの同時代となっていることも『ハムレット』における変更点ですが、それによって『ハムレット』劇内のイギリスと現実のイギリスがリンクし、世界劇場の効果を高めるのです。
 以上のようにニューケンブリッジシェイクスピア版『ハムレット』の序論であげられている『ハムレット』における変更点は全てABCDEF| fedcba構成を形成している要素であるということができるのでしょう。これはシェイクスピアがアムレートの物語をベースにそのストーリーを骨組みとして、全く別の表現すべき内容をABCDEF| fedcba構成として肉付けて描き込んだからであると思われるのです。

*1:翻訳はあるのですが高額です。

デンマーク人の事績 | サクソ・グラマティクス, Saxo Grammaticus, 谷口 幸男 |本 | 通販 | Amazon

ウィキペディアのアムレートの項目であらすじを読むことができます。

ja.wikipedia.org

*2:Hamlet Prince of Denmark” Edited by Philip Edwards The New Cambridge Shakespeare Cambridge University Press