50.『ハムレット』Q1は海賊版なのか?
『ハムレット』にはQ1*1というテキストがあります。第一四つ折版と訳されます。このQ1は「粗悪四つ折版」などと言われたりするのですが、非常に興味深いものなのです。今回はこのQ1に関して一般的な見解とそこにある問題などをまとめてみたいと思います。そして次回にQ1についての私の見解を書きたいと思うのです。
さて、このQ1は光文社古典新訳文庫で『ハムレットQ1』という題で翻訳もされています。この光文社の文庫本を手に取ってみますとすぐに気づくのはその薄さです。それもそのはずで、このQ1はQ2の半分程度の長さしかないのです。しかも内容を見ると、通常『ハムレット』として知られているF1やQ2と大体のストーリーは変わりないものの、なんだかあっさりしているのです。またハムレットのもっとも有名な台詞である”To be, or not to be, that is the question.”の場所が違っていたり、ポローニアスの役がコロランビスという名前になっていたりします。
Q1は1603年に出版されたもので、Q2が1604年、F1がシェイクスピアの死後で1623年の出版ですので、『ハムレット』の出版されたテキストとしてはもっとも初期のものと言えます。しかしこのQ1が再発見されたのは1823年であり、長い間失われたものでした。そのため現代人にとっては最も新しいともいえるかもしれません。現在、このテキストは2冊しか確認されていません。発見された当初は、『ハムレット』の初期のバージョンであると推測されました。内容が後のQ2やF1と違っているのは、Q1が改訂された結果がQ2とF1なのだと思われたのです。
しかし20世紀に入ると、その考え方は逆転します。もともとのテキストはQ2やF1(この二つのテキストの間にはQ1ほどには大きく異なるところはありません)であり、Q1は短縮されたバージョンなのだと主張されるようになります。なぜ短縮されたのかというと、いくつか説があり、ひとつには『ハムレット』に出演していたある役者が金目当てで記憶によって台本を再構成して、それを出版社に売りつけたためだというものです。つまり海賊版です。記憶にたよったため短くなってしまい、しかも品位に欠けたものとなってしまったのだといわれています。この説によるとその役者はマセーラスを演じた役者であると推測されています。なぜならマセーラスの台詞はQ1でもほとんど変質していないため、その記憶が確かだった役者が容疑者となったわけです。
もう一つのQ1短縮テキスト説は、劇団の地方巡業用の台本だったのではないかという説です。実際Q1のタイトルページには「ケンブリッジ大学、オックスフォード大学、その他の場所でも」上演されたと書かれています。
また、この説の有力な証拠の一つとして、ポローニアス役のコランビスです。先にも記したようにQ1のポローニアス役はコランビスという名前になっています。そして18世紀のドイツ語版の『ハムレット』*2があるのですが、このポローニアスはコランブスとなっていて、Q1のコランビスとおそらく同じ由来と考えられるのです。さらにこのコロンビスとコランビスの他にも”To be, or not to be, that is the question.”の場所がQ2やF1と違っている点や、イギリスへの渡航が海賊ではなく逆風によって妨げられた事などQ1と共通するところが多いのです。とはいえ、Q2やF1、Q1とも違っている部分も多いのです。例えば劇の冒頭に「夜の女王」がでてきたりしますし、オフィーリアは小川に流れてほしいところですが、このドイツ語版では丘から飛び降りての自殺です。これらの異同があるなか、Q1と共通する部分もあるのです。つまりこのドイツ語版『ハムレット』とQ1に共通する祖型があると考えられるのです。そう考えるとQ1は単なる海賊版ではなさそうなのです。
さて、もう一つのQ1に関しての説は『ハムレット』の初期バージョンであるというものです。これは先に記したように20世紀には否定されたのですが、近年では再びこの説が頭をもたげてきたのです。そして私自身もQ1は『ハムレット』の初期バージョンであると考えています。それはこのブログに記してきた内容をこれまで考えてきた過程で確信しました。そしてこのように仮定すると、『ハムレット』の制作の過程が見えてくるのです。次回にQ1の詳しい内容とともになぜQ1が『ハムレット』の初期のバージョンであり、海賊版などではないと考えられるか記していきたいと思います。