ハムレットのシンメトリー

Hamlet's Questions and One Man's Answers

54. わたしがこのブログを書く理由 はてなブログお題

 時々、頭をよぎるアイデアやひらめきのようなものがあります。それらは行動に移されれば、この世にそのアイデアを形にすることができます。しかしどんなすばらしいアイデアでも何もしなければ、そのアイデアは今朝見た夢のように消えてしまいます。

 

 私の中でひらめくアイデアは、たいていはそのように消えてなくなってしまっても良いような、それほど価値のないものです。しかし、消え去るに任せてはならないひらめきもあります。私がこのブログに書いているのは、そのようなひらめきがもとになっています。それはシェイクスピアの『ハムレット』の解釈に関してのひらめきです。それらは私の意識の底に沈めてしまってはならないのです。

 

 これが私がこのブログを書いている理由です。

 

 劇作家であり演出家で俳優でもあったシェイクスピアは、数限りないひらめきを得て、それらを戯曲なり舞台の演出によって形にしてきました。ひらめいたアイデアが舞台上に形作られていくのを眺め高揚しながら演出をしたのかもしれません。

 そのシェイクスピアでさえ、そういったひらめきがうつろいやすく、失われやすいものだと感じていたでしょう。そのような失われてしまったひらめきやアイデアは、どこにいってしまったのか、それとももともとなかったのであるから、完全に消えてなくなってしまったのか?心の内にしかなかったそれらは、あると言えるのか、それともそうでないのか?シェイクスピアはこんな事も考えたのかもしれません。

 

 このような心の内にありながら外の世界に形になっていないもの、これを『ハムレットのシンメトリー』では”Not to be “といいます。そして心の内にひらめいたものから外の世界に形作られたものは”To be “です。『ハムレット』のもっとも有名な台詞 ”To be, or not to be, that is the question.”にはこのような意味も埋め込まれているのです。『ハムレット』のストーリーからはそのような事は想像できないかもしれません。しかし『ハムレット』には暗号のようなものがあり、それを読み解くことで”To be, or not to be, that is the question.” の隠された意味が明らかになるのです。この暗号が『ハムレット』のシンメトリーなのです。

 

 この『ハムレット』のシンメトリー構成に気づいていった過程と、それらがどのような意味を持ち解釈されるのか、それを考えていく中で多くのひらめきがありました。その一つ一つに気づく度に気分は高揚しながらも、それらが失われないうちにメモする事を心掛けていました。そのようなひらめきと高揚感によってこのブログ『ハムレットのシンメトリー』は書かれています。読んでくださる人たちがそれらを追体験できれば、私がこのブログを書いた目的を達成したともいえるでしょう。

 

 今回のこの記事で初めて私のブログを読んだ方でシェイクスピアに詳しい人がいたら、おそらくこのブログに対して独善的で妄想をもとにしたもののように感じるかもしれません。

 「『ハムレット』のような超有名な作品の中に暗号を探しだすなんて『ダ・ヴィンチ・コード』ではあるまいに。『ハムレットのシンメトリー』とやらもトンデモと妄想に色づけしたようなものに違いない」

 こんなふうに感じた方にぜひこのブログを初めから読んでほしいのです。なぜならそのような方こそ『ハムレット』に抱いていた常識的な読み方が大きく覆るからです。

 

 さて、5月から中断していたこのブログですが、まだ書きたいこともありますので再開していきたいと思います。なぜ中断していたか?暑かったからです。そう、暑さ、寒さも彼岸までと言います。確かにそれは真実で、今日、924日は過ごしやすい日でした。寒くならないうちに書いていきたいです。