ハムレットのシンメトリー

Hamlet's Questions and One Man's Answers

52. 『ノースマン』と『ハムレット』

 とても寒いです。私の家は冬期間、通常はすき間風が室内をそよいでいますが、ここのところの寒気で突風のある日にはすき間雪すら入ってきてしまうのです。一体いつの時代だと思われるでしょうが、昭和初期の家なので仕方ないと思って諦めます。しかし諦めても寒いものは寒いので、寒さで気分を高めて今回は先日見に行った映画『ノースマン』について書いてみたいと思います。

 

 この『ノースマン』、主人公の名前はアムレートです。あのアムレートです。あのアムレートというのは、サクソ・グラマティクスの『デンマーク人の事績』の中のアムレートの物語のアムレートです。つまり『ハムレット』の元ネタです*1。とは言え、この映画が『ハムレット』の元ネタであるアムレートの物語を映画化したものかというとそうではありません。もともとのアムレートの物語から受け継いでいるのは人物の名前と叔父による父の殺害と復讐くらいです。しかし『ハムレット』と全く無関係というわけでもなく『ハムレット』へのオマージュというような部分も表現されています。このあたりは言われてみないとわからないかもしれませんので、今回はこの映画と『ハムレット』との関係や事前に知っておくと楽しめるような事を少々ネタバレしながら書いてみたいと思います。

 

The Northman (2022)

 9世紀、スカンジナビア地域にある、とある島国。

 若き王子アムレート(オスカー・ノヴァク)は、旅から帰還した父オーヴァンディル王(イーサン・ホーク)とともに、宮廷の道化ヘイミル(ウィレム・デフォー)の立ち会いのもと、成人の儀式を執り行っていた。しかし、儀式の直後、叔父のフィヨルニル(クレス・バング)がオーヴァンディルを殺害し、グートルン王妃(ニコール・キッドマン)を連れ去ってしまう。10歳のアムレートは殺された父の復讐と母の救出を誓い、たった一人、ボートで島を脱出する。

 数年後、怒りに燃えるアムレート(アレクサンダー・スカルスガルド)は、東ヨーロッパ各地で略奪を繰り返す獰猛なヴァイキング戦士の一員となっていた。ある日、スラブ族の預言者ビョーク)と出会い、己の運命と使命を思い出した彼は、フィヨルニルがアイスランドで農場を営んでいることを知る。奴隷に変装して奴隷船に乗り込んだアムレートは、親しくなった白樺の森のオルガ(アニャ・テイラー=ジョイ)の助けを借り、叔父の農場に潜り込むが…

 

 

 このようなあらすじですが、簡単に説明すると、アムレートの物語をベースにしてバイキングの時代の精神世界と習俗が描かれています。このバイキングの精神世界とは北欧神話に基づいたシャーマニズムであり、その習俗とは野蛮さと言い換えてもいいかもしれません。

 北欧神話シャーマニズムに関しては後にして、先に野蛮さについて少し考えてみます。この映画ではアムレートが属するバイキングが村を襲う場面など残酷な場面が出てきます。実際バイキングは国々を荒らし家を焼き払い略奪していたので、周辺の国はこの野蛮な行為をやめてもらいたいとキリスト教を布教し改宗させたという歴史があります。映画の中ではキリスト教は略奪された奴隷の宗教でしかなく、まだバイキングにとっては異教として描かれています。

 この野蛮さは、16世紀後半にサクソ・グラマティクスの『デンマーク人の事績』からアムレートの物語がフランス語に翻訳される際にも感じられたようで、翻訳者のベルフォレは、キリスト教以前のお話しなので勘弁してくださいねと弁明しているほどです。

 このキリスト教以前の野蛮さとは、やはり北欧神話とも関係が深いと思われます。映画の中でアムレートの父オーヴァンディルはオーディンを信仰しています。このオーディンとは北欧神話の神で死と戦いと詩の神です。このオーディンに支配されているのが戦死者の館ヴァルハラです。ヴァルハラは選別された戦死者の集う館でバイキングにとっての天国のようなところですが、毎日戦いにあけくれ死んでも甦りまた翌日には戦いを繰り返すという現代の私たちにとっては地獄のような天国です。でもとりあえずそこではたらふく食べる事はできるようです。そしてこの戦死者を選びヴァルハラに運ぶのが、ヴァルキリーです。このオーディンとヴァルハラ、ヴァルキリーは、この映画を鑑賞する際に知識としてあった方が内容がわかりやすいと思います。

 さて、このように天国で殺し合いを楽しむほどにバイキングは現代の私たちから見れば闘争的で野蛮だったのかもしれません。確かにオーディンは死と戦いの神でしたが、詩の神でもありました。バイキングは文化のない野蛮な略奪者というわけではなかったのです。『ノースマン』の中でも儀式の場面では詩によってやり取りをしているようでした。北欧の詩では頭韻が用いられる事が特徴的であり、北欧神話が歌われる『巫女の予言』でも頭韻が踏まれています。また『ノースマン』でアムレートが身分を隠し自らを「ベオウルフ」と名乗るのですが、ベオウルフとは8世紀ごろの叙事詩の名前でもあり、この叙事詩『ベオウルフ』はやはり頭韻で書かれています。

 Wikipediaによるとオーディンという名は語源的には「狂気、激怒の主」と考えられ、この狂気をシャーマンのトランス状態と考えれば「シャーマンの主」と考えることもできるということです。映画の中でもシャーマニズムとその幻視が表現されており、アムレートの成人のイニシエーションでは父の血に触れることで自らの家系図を幻視する場面があります。家系図というか、でかい木に先祖達が首をつっているという縁起でもない幻視なのですが、これはやはりオーディン世界樹ユグドラシルで首を吊る事でルーン文字の知恵を得たという神話に基づいています。

 この成人のイニシエーションの場面ではアムレートの父オーヴァンディルがアムレートに”Swear”「誓え」と繰り返す場面があります。これは『ハムレット』第一幕第五幕で亡霊が繰り返す台詞と同じで『ハムレット』へのオマージュのようです。またアムレートらが襲った村でビョーク扮するスラブの預言者が”Remember”「思い出せ」と繰り返します。これもやはり『ハムレット』の第一幕第五場で亡霊がハムレットに最後に言う言葉が”Remember”「忘れるな」*2で、この後の台詞でハムレットはこの”Remember”「忘れるな」を繰り返し『ハムレット』の中でも印象的な単語の一つとなっています。そのためこのスラブの預言者の”Remember”も『ハムレット』が意識されているのは明らかです。

 また、成人のイニシエーションには道化のヘイミルが立ち会ったのですが、後にアムレートはアイスランドでこのヘイミルの断首された頭と再会します。これも『ハムレット』からのものです。第五幕第一場の墓場の場面で、ハムレットが幼い頃に仲の良かった道化ヨリックの頭蓋骨に語りかける場面のオマージュです*3。『ハムレット』ではハムレットがヨリックの頭蓋骨に語りかけますが、『ノースマン』ではミイラになってしまったヘイミルの頭がアムレートに語りかけ、剣ドラウグルのありかを教えます。

 この後、アムレートはその剣を守る甲冑姿の亡霊と戦います。この亡霊との戦いは全体のストーリーからは違和感があるように感じられますが、これも『ハムレット』の冒頭で現れる甲冑姿の亡霊を思い起こさせます。このように『ノースマン』の中の『ハムレット』へのオマージュはどれもシャーマニスティック、あるいは幻視的な場面で表現されているようです。

 アムレートは父の復讐のためにアイスランドで牧畜を営んでいるフィヨルニルの農場に奴隷として忍び込んだわけですが、このフィヨルニルはフレイという神を信仰しています。フレイは豊穣の神です。バイキングとして略奪をしていたオーヴァンディルがオーディンを信仰していましたので、それぞれ生業にふさわしい神を信仰していることがわかります。

 アムレートはこの農場に忍び込む際に、白樺の森のオルガという女性と知り合いその協力を得ます。アムレートのパートナーなので、『ハムレット』でいえばオフィーリアでしょうか。しかしアムレートがメランコリーに陥ったりしないようにオルガもオフィーリアのように心を病むことはありません。逆に彼女は敵の心を病ませる能力を持っています。「あなたは敵の骨を砕く、私は敵の心を打ち砕く」これは決戦の前のオルガの台詞です。この台詞のようにアムレートは残虐な方法で護衛を殺し、フィヨルニルの他の部下たちも狂乱におちいります。オルガによって心を打ち砕かれたのです。これは実のところオルガによって料理にもられたベニテングタケ*4によるものなのです。映画のなかでは夜のシーンでベニテングタケが描かれているのでとても分かりにくいのですが、白樺の森のオルガという名前からも彼女がベニテングタケを扱う事がわかります。このキノコは白樺の森で見つかるのです。狂ったオフィーリアはハーブや草花を手渡しますが、オルガは毒キノコをもって敵を狂わせるのです。

 この混乱の中、アムレートは母グートルンのいる屋敷に忍び込み、母を救い出そうとするのですが、ここで母から驚愕の真実を明かされるのです。この時代、やる時は躊躇なくやる、アムレートにはハムレットのような憂鬱さや復讐の遅延などはあり得ませんでした。しかし母から真実、その運命を聞き、そこで初めて”To be, or not to be,”のような葛藤を感じたのではないでしょうか。運命の女神たちノルンによって紡がれた糸から織られた生地にはあまりに残酷な絵柄が織り込まれていたのです。

 次回は前回の続きQ1についての記事です。10月から更新が途絶えていたのは寒さのせいです。

 

*1:ハムレット』と『デンマーク人の事績』アムレートとの関係は以下の記事を参照

symmetricalhamlet.hatenablog.com

*2:この”Remember”については以下の記事を参照

symmetricalhamlet.hatenablog.com

*3:第五幕第一場の墓場の場面については以下の記事を参照

symmetricalhamlet.hatenablog.com

symmetricalhamlet.hatenablog.com

*4:Wikipediaによるとベニテングタケはそれほど強い幻覚作用はないと書かれている一方、シベリアではシャーマニズムで用いられたとの記述もある