ハムレットのシンメトリー

Hamlet's Questions and One Man's Answers

53.邦訳の『ハムレット』と『ハムレットQ1』をページごとに要約し比較する

 前回の投稿からもう3か月以上経ってしまいました。もう暖かくなりましたので、ブログも再開です。 

 前々回からの続きです。前々回は『ハムレット』のQ1F1のそれぞれのテキストから”To be, or not to be,”から始まるハムレットの独白を取り出して比較してみました。

symmetricalhamlet.hatenablog.com

そこからQ120世紀に考えられていたように役者の記憶によって作られた海賊版の粗悪なテキストなどではなく、シェイクスピア自身による『ハムレット』の初期のバージョンだったのではないかと推測しました。また、F1の『ハムレット』がグローブ座で公演されたと考えられるのに対して、Q1は初期バージョンであるのと同時に、地方での巡業公演されたもののテキストではないかとも推測し、その痕跡も指摘しました。

 今回はさらにQ1F1の全体を比較する事によってより深くこのQ1の問題を考えたいと思います。

 Q1の邦訳である光文社古典新訳文庫の『ハムレットQ1』の本文は129ページあります。それに対して、研究社版の『ハムレット』は対訳の英文を含めて352ページです。この2冊のページ数の比は411くらいになります。これを25と見なして光文社古典新訳文庫ハムレットQ1』を2ページずつ、研究社版『ハムレット』を5ページずつ要約*1をします。そうすると大体同じ数の要約ができるです。その要約を表計算ソフトのセルに記入していきます。そのようにすることによって、この二つのバージョンの『ハムレット』がどのように異なっていて、なにが共通しているかわかりやすくなるはずです。

 実際にやってみましょう。まず研究社版の『ハムレット』の7911ページです。歩哨が交替し連れてこられたホレイショーに亡霊の話をしますが、信じてもらえません。しかしそこに実際に亡霊が登場します。これを「歩哨とホレイショーのやりとり。亡霊登場」と要約します。次に1315ページを要約して「マセーラスが警護の理由を問う。ホレイショーが答え、先王とノルウェー王の一騎打ちについて、」とします。これは、次の171921ページの要約の「息子フォーティンブラスが領土を取り戻そうとしているらしい事を語る。亡霊登場、鶏鳴で退場。」と連続しています。

 同様の作業を光文社古典新訳文庫の『ハムレットQ1』でも行います。本文最初の2ページ分1516ページを要約して「番兵が亡霊の話をする」とします。次に1718ページを要約して「亡霊登場、すぐ退場。ノルウェーとの関係、」とし1920ページを「フォーティンブラスの話題、亡霊を問い詰めるが、消える』と要約します。

 このように要約し、表計算ソフトに書き込むと以下のようになります。

 

 

 これを見ると、Q1F1はほとんど同じ内容のようです。しかしそれぞれの本文を確認すると、前回ハムレットの独白の比較で見たように、ここでもF1の方が描写も細かく内容も若干異なる事で長くなっています。冒頭の歩哨の交代の場面を見てみましょう。

まず光文社古典新訳文庫の『ハムレットQ1』から。

 

フランシスコ 止まれ! 誰か。

バーナードー おれだ。

フランシスコ おお、お前か。時間どおり来てくれたな。

バーナードー マセーラスとホレイショに会ったら、見張りの仲間だ、急ぐように言ってくれ。

フランシスコ わかった。誰か来る。止まれ!

 

次に研究社版の『ハムレット

バーナードー たれか!

フランシスコー なに! 誰何はこっちだ。動かずに名を名乗れ。

バーナードー 国王万歳。

フランシスコー バーナードーだな?

バーナードー そうだ。

フランシスコー きっかり時間どおりに来てくれた。

バーナードー 十二時を打ったところだ、戻って休め、フランシスコー。

フランシスコー 交代かたじけない。ひどく寒い、それになんだか気が滅入ってな。

バーナードー 異常は?

フランシスコー 鼠一匹でなかった。

バーナードー そうか。お休み。

途中ホレイショーとマーセラスに会うと思う、

一緒の歩哨だ、急ぐよう言ってくれ。

フランシスコー 足音がする。止まれ! たれか!

 歩哨に立っているフランシスコーにバナードーが交代のため来るのは両方とも同じなのですが、誰何するのはQ1ではそれまで歩哨に立っているフランシスコーであるのに対して、F1では交代にやって来たバナードーになっています。

 どちらがより自然であるかといえば、歩哨に立っているフランシスコーが誰かと問う方が自然でしょう。しかしF1では交代要員としてやって来たバナードーが問いかけています。これはかなり不自然な印象を与えます。歩哨の交代としてやって来たバナードーはそこにフランシスコーが歩哨として立っている事はわかっているはずなのですから。しかしバナードーが問う事でやり取りが少し複雑になっており、この場面の背景にも深みが感じられるようになっています。

 このようにQ1に対して、F1は不自然さがありながらもより深みのあるものとなっている事は、前回とりあげた”To be, or not to be,” から始まるハムレットの独白でも同様でした。おそらくその他の部分も同様なのではないかと思われます。

 このように要約によってそぎ落とされて見えなくなってしまう事象もあるのですが、逆に見えてくるものもあるはずです。それを期待してQ1F1を先に記した手順で最後まで要約したのが次の表です。

 字が小さすぎて読めないと思いますが、左の列がスタンダードなバージョンである研究社版『ハムレット』、右は光文社古典新訳文庫の『ハムレットQ1』のページごとの要約です。

 それぞれ70ほどの行に要約が記入されていますが、同じ行にはほぼ同じ内容が記されています。この事は驚くべきことであると思うのです。『ハムレット』のF1,Q2 Q1とでは明らかに異なっているところがいくつかあるにしろ、それぞれのプロットの全体に対しての長さの比率はほぼ同じなのです。

 この事は、Q1が『ハムレット』の初期バージョンであるという推測を確信に変えるのではないでしょうか。Q1海賊版説では、意地汚い役者の記憶によって再現して出来たものだとされています。それによると、『ハムレット』の出演したある役者が記憶によって再現したため、Q1は短く品位に欠けたものとなったと言われています。

 しかし、完全な『ハムレット』の不完全な記憶からQ1ができたのであるとしたら、先の表で示したようにF1, Q2 とプロットの長さの比率が一致するはずはありません。Q1は他の『ハムレット』テキストの半分ほどの長さです。しかし部分的に大きく失われた箇所があるのではなく、全体的に等しく短く薄まっているのです。記憶による欠損ではこのような事はあり得ないでしょう。

 これはQ1の成立において、シェイクスピア本人が『ハムレット』全体の長さとプロットの比率を重視したためだと思われるのです。比率を重視した上で、Q1 を膨らませていって完全な『ハムレット』を制作したか、完全な『ハムレット』を削り取る事によってQ1 を制作したかです。しかし明らかにQ1 は完成度が低いといえる事と、印象的であったり意味深い台詞の多くがQ1 に欠けている事は、後者である可能性を低くしているでしょう。

 そのような理由でQ1 は『ハムレット』の初期バージョンと考えられるのです。そしてこれを初期バージョンとする事によって、シェイクスピアが『ハムレット』を制作した足跡を追うことができると思うのです。今後、このブログでは、Q1 は『ハムレット』の初期バージョンであるという前提によってシェイクスピアがどのように『ハムレット』を制作していったかを考えていきたいと思います。




*1:研究社版の『ハムレット』は対訳ですので、5ページごとの要約は日本語訳では2.5ページごとになります。しかしそれも煩雑ですので実際には2ページと3ページごとの要約を交互に繰り返していきます。