ハムレットのシンメトリー

Hamlet's Questions and One Man's Answers

10.語りから演劇へ

 前回は、『ハムレット』という戯曲がその登場人物の一人であるホレイショーが語るものを舞台上に見えるようにしたものではないか、という説を立ててみました。さらに、それによって『ハムレット』が円環するような構造を持つという仮説にいたりました。

 そこで問題としたホレイショーの閉幕後の語りは他にも興味深い面があるため、もう少し掘り下げてみていきたいと思います。

 前々回には、この閉幕後のホレイショーの語りを第一幕のホレイショーの語りとを対比して読み解いてみたのですが、今回は第一幕第五場の亡霊がハムレットに対して、自身の殺害の経緯を語る場面と対比してみていきます。どのような場面だったか簡単に見てみましょう。

 ホレイショーと歩哨たちには無言で去っていった亡霊でしたが、その翌晩息子であるハムレットには多くを語ります。自分はハムレットの父の亡霊であり、殺され王位を奪われた事、そしてその復讐をハムレットに命じます。さらに自分を殺害したのは現在王位についているハムレットにとっての叔父である事、そして、その殺害の状況を語って聞かせます。

 この亡霊による語りを閉幕後のホレイショーの語りと対比するために、ここでも開幕と閉幕のテンプレートを使います。両方とも何らかの殺害があり、それを後に語るという形です。

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亡霊とホレイショー語りのTo be or not to be

 まず、前々回の繰り返しにはなりますが、閉幕後のホレイショーの語りについてもう一度見てみましょう。ホレイショーの閉幕後の語りは観客たちは聞くことはできません。その意味で舞台の外の視点からはホレイショーの語りはNot to beです。舞台の中の視点ではホレイショーはデンマークの殺害の現場のその場所にいたという意味でTo beであるという事ができます。だからこそ、ホレイショーはそれを語る資格があり、その語りが信頼に足るものだと見なされるでしょう。

 では亡霊の語りについてですが、これは第一幕第五場でハムレットに語られます。そして観客たちもこれをハムレットとともに聞くことができます。舞台上に表現されているという意味でTo beです。このTo beとは舞台の外の視点から見てTo beだということです。そして父ハムレットが殺害された現場は舞台では表現されていませんのでNot to beです。

 次にこの亡霊の語りを劇内部の視点から見てみるとどうでしょうか。自分が殺された時の情景を語る実際の台詞を見てみましょう。

 

手短に話さねばならぬ。わたしは庭園で眠っていた、

それはいつもの午後の習慣であった。あたかもその

安心のときを狙って、お前のあの叔父が忍び寄った、

手にするは瓶に仕込んだ猛毒の毒液、

わが両の耳の入口より、その毒の蒸留液をば

とくとくと注ぎ込む。その毒性たるや、

人間の血液とまさに相反し、

人体にくまなき血の管の関門、通路を、

水銀の転がる速度にて駆けめぐり、

乳中に酢を滴ぜしがごとくに

たちまちにして澄んだ健やかな血液を

こごらせる。わが血液はそのようになった。

すなわち滑らかなわが全身は瞬時の発疹に

覆い尽くされ、醜くもおぞましいかさぶたの姿は

ラザロのごとく。

わたしはこのようにして、午睡のさなか、弟の手によって、

生命を、王冠と王妃を、一時にして奪われた、*1

 

 ホレイショーがデンマークの殺害の現場に居合わせたように、父ハムレットは自らが殺されるその場にいてそれを体験したのだから、To beということができるでしょう。と言いたいところですが、この亡霊の饒舌には「でも、アンタそこで寝てたんだよね?」とつっこみを入れたくなります。この殺害の情景も第三者からの視点のようですし、むしろNot to beであると言えるでしょう。

 ハムレットは父が叔父によって殺害されたことを父の亡霊によって知らされますが、亡霊といった幻覚のような存在からの情報なので、それが事実であるかどうかの確信が持てません。これは言い換えると、劇中のハムレットにとって、実体のないNot to beな存在である亡霊から聞かされる実体のないNot to beな情報であるという事です。ここにおいてもNot to beが極まっているという事ができるでしょう。閉幕後のホレイショーの語りが観客から見て二重にNot to beであったように、劇の中の世界からは亡霊の語る事はやはり二重にNot to beなのです。

 ハムレットはこの亡霊の語る内容に驚愕しつつ、信じるに足るものであるか確信が持てないでいます。そこで先ほど引用した亡霊の言葉を原案とした演劇を宮廷で上演することによってクローディアスの反応を見るのです。

 この劇中劇の上演は言い換えれば実体のない亡霊の話をクローディアスをはじめとする他者に見えるように実体を持った形に形作ることです。

 亡霊の語りから劇中劇が形作られているというこの事は、『ハムレット』という演劇が閉幕後のホレイショーの語りを演劇としたものと見る事と対称的です。この事はシェイクスピアが『ハムレット』を円環構造に創作したことの根拠の一つとみなす事ができるのではないでしょうか。図に示すと以下のようになります。

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語りから演劇へ

これらを比較すると、この二つの劇への過程が対称的に作られていることがわかるでしょう。亡霊の語りから劇中劇への過程は、亡霊が語ったことが原因となって、劇中劇が形作られており、通常の因果律のもとに形作られています。それに対して、劇『ハムレット』をホレイショーの閉幕後の語りを演劇としたものと見なすと、原因(ホレイショーの語り)が現れていないうちに、結果(劇『ハムレット』)が実現しているというような奇妙な因果律*2となってしまうのです。まさに、時の関節がはずれてしまった。」"The time is out of joint."*3というハムレット自身の言葉のようでもあります。あるいは劇『ハムレット』の円環構造の接続部分が外れた状態を言っているのであるのかもしれません。つまり、閉幕後のホレイショーの語りから開幕につなげる事が「時の関節をつなげる」という事になるのではないでしょうか。そうだとしたらThe time is out of joint. もまた、この劇を円環構造として見ることを暗示していると考えられるのです。

 また、劇中劇が文字通り劇の内部にあるのに対して、『ハムレット』を閉幕後のホレイショーの語りが見えるように形作られたものと捉えると、劇の外に出てはまた戻ってくるかのような形となります。それはまったく奇妙な構造でクラインの壷のようでさえあるのです。

*1:ハムレット』からの引用は 大場建治訳、注解 シェイクスピア選集8 ハムレット 研究社 2004年 から

*2:逆因果律 - Wikipedia

*3:第一幕第五場の終わりでのハムレットの台詞。翻訳ではこの台詞は「この世の関節が外れてしまった」と訳されることも多い