ハムレットのシンメトリー

Hamlet's Questions and One Man's Answers

9.ハムレットウロボロス

 前回までに『ハムレット』におけるTo be は開幕から閉幕までの間の舞台上で目に見え、耳で聞くことのできる表現であり、それに対してNot to beは開幕までの時間と閉幕からの時間に設定されている事柄である事をみました。これらは『ハムレット』を見ている観客にとって舞台上に知覚できるか否かという事であるため、舞台の外からの視点で見られたものです。

 また、舞台の中の人物たちにとって実体があるか否かという事でもTo be Not to beに分けることができます。亡霊は実体が不明瞭であるためNot to beです。そして語られる話もNot to beとされます。話、語りというのは、左の耳から聞いても右の耳から出てしまって実体がなく記憶に残らないこともあったり、確証が得られないということもNot to beの性質といえるかと思います。

さて、閉幕後にはホレイショーがデンマーク王家の死屍累々たる惨状に至った経緯を語るわけですが、これは閉幕後に語られる語りであることから「Not to be領域のNot to be」ということができるかと思います。Not to beが極まっているわけです。

 ここで古代中国人に言わせれば「陰極まって陽を生ず」というような事態が生じるのです。あるいはマイナス×マイナスでプラスが生じるような。それは、ホレイショーがそこで語ろうとしている事というのは、それまでに舞台上で演じられていたことで、つまりこの『ハムレット』の舞台とはホレイショーがフォーティンブラスに語っていることと見なすことができるのではないか、ということです。それというのもこの劇の中での生存者で、ホレイショーだけが最初から最後まで国外に行く事もなくデンマークに留まり、唯一『ハムレット』を語ることができる人物であるからです。このように見るとこの『ハムレット』という戯曲はウロボロスのような円環構造をしていることになります。

 おそらく一つの説としては面白いかもしれないですが、そのような事は誰も主張していないし、検索してもそれらしいのは出てこないので疑わしいと多くの方が思うのではないでしょうか?しかしこの『ハムレット』の円環構造に関してはシェイクスピアがそれをほのめかしたような箇所がいくつかあります。それらをシェイクスピアが『ハムレット』を円環構造として創作した事の証明と言えるかどうかの判断はこれを読んでいる方々にお任せします。

 まず前回も引用した箇所ですが、ホレイショーが亡骸の事の顛末を語るという台詞を少し長めに見てみましょう。

 

ホレイショー だが折も折、この惨劇に際会して、

そなたはポーランド攻略から、こなたはイギリスから

ご到着なされたからには、まずこれら遺骸を壇上高く

公に安置するよう命じていただきたい。しかるのち

わたくしの口を通して、未知なる世人に、ことの出来の仔細をば

語り聞かせるとしましょう。いまこそ明らかになるは、

淫乱、殺人、不倫の所業、

偶然の断罪、不慮の殺戮、

奸計による無理無体な謀殺、

加えていまここに悲劇の総決算たる計略の齟齬、

応報の決着、それらのすべてをわたくしが

正しく告げ知らせましょう。*1

 

 これだけで見ると、この台詞はこれから始まる劇の前口上のようではないでしょうか。エピローグでありながら、プロローグのような内容なのです。そして「遺骸を壇上高く安置するよう命じていただきたい」の壇上は原文ではstage です。これは劇の舞台を暗示しているように思われるのです。つまり,口上役が前口上をやり、役者たちが舞台に立つことを暗示しているのです。そのように見ますと、登場した際のフォーティンブラスはまるで客引きに引っ張られてきたかのようです。

 

フォーティンブラス どこで見られるのか、それは?

ホレイショー 何を見たいとおっしゃる、悲嘆も驚愕もすべて目の前に揃っている。

 

 「あちらで今やっている舞台、ちょっとヤバいのが見れますよ」とか聞いてデンマーク王室劇場に連れられてきたのかもしれません。

 さらにこの戯曲の名前”Hamlet”にも円環構造が暗示されていると思われるのです。『ハムレット』は十二世紀のサクソ・グラマティクスの『デンマーク人の事績』の中のアムレートの物語をもととしていて、HamletがこのAmlethアナグラムであることは広く認められています。Amlethの語尾のHを語頭にもってくるとHamletになるわけです。*2

 しかしもしかすると、このHは語尾から切り離されて頭に持ってこられたのではなく、全体を丸めることによって語頭に持ってきたのかもしれません。ちょうどウロボロスのように。そうするとこの丸めたHamletという文字を『ハムレット』の円環構造として見ることができます。しかし、これだけではまだ円環構造の証明としては弱いでしょう。ただ題名を丸めただけですから。

 このウロボロス状になったHamletの語尾と語頭を連結するHの役割をするのが『ハムレット』の円環構造においては、ホレイショーの閉幕後の語りです。ホレイショーのつづりはHをイニシャルに持つ Horatioです。つまりこのホレイショーという名前は『ハムレット』の円環構造を暗示するために意図的にHのイニシャルを持つように選ばれたのではないかと思われるのです。

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ハムレットウロボロス

 ホレイショーのHにそのような意味が仮にあるとしたら、残りのoratioの方にも興味が惹かれます。大学書林の『古典ラテン語辞典』からの引用です。

 

 oratio: 1.話すこと、話す力(才能) 2.談話、演説、議論 3.長広舌、熱弁、話しぶり、言葉づかい 4.文体、散文、論文、主題 5.言語、方言 

 

 これまでホレイショーの語りを問題として考察してきたのです。やはりこれはあやしい。シェイクスピアの意図があるようです。ラテン語oratioを語源にもつ英単語がorationです。これは演説、式辞、弔辞の意味があります。そうすると、ホレイショーHoratioという名前は、H ハムレットへの oration 弔辞という意味が持たされているのではないでしょうか?

 ハムレットは死の直前、自らも毒杯を仰ごうとするホレイショーのそれを取り上げ、生きて自分の物語を語ってほしいと懇願します。ホレイショーはハムレットの願いを実行することになり、それがホレイショーの閉幕後の語りで、ハムレットへの弔辞なのです。

 つまりホレイショーという名前には、劇の初めからすでにハムレットへの弔辞という意味を持たされていたのです。

*1:以下『ハムレット』からの引用は 大場建治訳、注解 シェイクスピア選集8 ハムレット 研究社 2004年 から

*2:アムレートの物語には円環構造はないばかりか、アムレートは父の仇を討った後も生きつづけ、別のエピソードが進行する