ハムレットのシンメトリー

Hamlet's Questions and One Man's Answers

8.実体のない存在 —語り、亡霊—

 今回も引き続き第一幕第一場と第五幕第二場の考察を行います。前回は第五幕第二場のハムレットの亡骸が壇上に安置されるのは、『ハムレット』の閉幕後に設定されているという事を確認しました。そこから壇上に安置されるハムレットの亡骸は観客の視点からNot to be であり、それと対称的に設定されている胸壁上の父ハムレットの亡霊はTo be であるという事をみました。

 このような閉幕の後に設定されている事柄は、壇上に安置されるハムレットの亡骸だけではありません。もう一度、第一幕第一場と第五幕第二場の比較表を見てみましょう。

f:id:ethaml:20210122111208p:plain

 a第五幕第二場の2列目を見ますと、ホレイショーがハムレットらの亡骸の事の顛末を語ると言いますが、これを語るのは亡骸が安置された後です。ホレイショーの台詞を見てみましょう。

 

ホレイショー まずこれら遺骸を壇上高く

公に安置するよう命じていただきたい。しかるのち

わたくしの口を通して、未知なる世人に、ことの出来の仔細をば

語り聞かせるとしましょう。*1

 

 これに対してフォーテインブラスはすぐにもその話を聞きたいと言いますが、ホレイショーはまずは亡骸を安置してほしいと再度くぎをさします。そしてフォーテインブラスが亡骸の安置を命じて閉幕です。このようにホレイショーが語る事の顛末は、壇上に安置されるハムレットの亡骸と同様に、閉幕後に設定されています。その意味でこれもNot to be である事が分かります。

 これをABCDEF|fedcba構成の図に付け加えると以下のようになります。

f:id:ethaml:20210128094211p:plain

閉幕後を付け加えたABCDEF|fedcba構成


 黒の実線は『ハムレット』の舞台上で表現される劇で、薄紫の線は閉幕以後に流れる時間です。これらは舞台上の表現をTo beとした際に、Not to be と見なされます。

 さて、ホレイショーは『ハムレット』の中で語り部としての役割が与えられている箇所が他にもあります。上の表をもう一度見てみましょう。A第一幕第一場の3列目4列目です。亡霊が一度去った後に、ホレイショーが過去の父フォーティンブラスと父ハムレットとの決闘と、息子フォーテインブラスが兵を集めている事について歩哨たちに語るところがあります。これは観客たちも舞台にいる歩哨たちと一緒に、それを聞くことができます。語りが舞台上でされていますのでTo be の領域にあります。

 この第一幕第一場でホレイショーによって語られる父ハムレットと父フォーティンブラスとの一騎打ちは過去の事件です。また、それに続く息子フォーティンブラスが兵を集めて領地の奪還を企てているらしいという話は現在進行している事件ですが、舞台の上ではないノルウェーでのことです。

 これらを先ほどの図に付け加えると下の図になります。

f:id:ethaml:20210127202953p:plain

Not to be領域を加えたABCDEF|fedcba構成

 この第一幕第一場でのホレイショーが語る過去の決闘と息子フォーティンブラスについての話はホレイショーがその現場に実際にいたわけではなく、伝聞に基づいたものです。つまり話者がそこにいたのではない(Not to be)のです。その事を強調するようにホレイショーはこの語りをする前に「少なくとも噂ではこういうことだ」と前置きをしています。 

 それに対して閉幕後のホレイショーの語りにおいては、ハムレットとレアティーズの決闘と生々しい殺害の現場がそこにあり、そのいきさつをホレイショーは語ろうというのです。ホレイショーはこちらの語りの前では「それらのすべてをわたくしが正しく告げ知らせましょう」と言います。このように宣言できるのはホレイショーがそこにいた (To be)からです。

 このように第一幕第一場でのホレイショーの語りと、第五幕第二場で語ると言い、閉幕後に語る事になるその語りは、やはり対称性が強くこれも偶然ではなく、意図的に形作られていると思われるのです。しかし、かなり入り組んでいますのでわかりにくいかもしれません。そこで整理するために図で示しますと以下のようになります。

 

f:id:ethaml:20210128084540p:plain

ホレイショー語りのTo be or not to be

 開幕以前と閉幕以後のNot to beの領域は薄紫で、To be の領域は黒で示してあります。開幕以前の出来事である父ハムレットと父フォーティンブラスの決闘と、ハムレットとレアティーズの決闘も対称となっていることが分かります。

 同じ地に亡霊と亡骸の対称関係を示すと以下のようになります。

f:id:ethaml:20210128084132p:plain

亡霊と亡骸の To be or not to be

 開幕以前の観客に見られることのないNot to be の領域にある「生前の父ハムレット」と「過去の決闘」は劇の世界の中では過去に実体をもって存在していたのであり、その意味で「Not to be 領域にあるTo be」と呼ぶことができます。それに対して開幕後、観客が観たり聞いたりできるTo be の領域にある「亡霊」と「ホレイショーが語る決闘」は「To be領域にあるNot to be」という事ができます。劇世界の中では「亡霊」実体がなく、「ホレイショーが語る決闘」も「語り」という意味で実体はないと言えるでしょう。

*1:以下『ハムレット』からの引用は 大場建治訳、注解 シェイクスピア選集8 ハムレット 研究社 2004年 から