ハムレットのシンメトリー

Hamlet's Questions and One Man's Answers

14.イギリスの内の舞台

 『ハムレット』は現在に至るまで、あらゆる国のあらゆる劇場で演じられてきました。おそらくシェイクスピア自身は、将来において世界各国の劇場で演じられるなどは想定していなかったかもしれません。しかしシェイクスピアが『ハムレット』の上演される劇場として想定していた劇場は明らかであり、それはイギリスのグローブ座でした。

 グローブ座は、1599年にロンドンのテムズ川南岸に建てられた木造の劇場で、当時のロンドン郊外には数多くの劇場があり、グローブ座もその中の一つでした。『ハムレット』の創作年代は1600‐02年頃と推定されており、グローブ座が建てられてから13年後ということになります。

 さて、このグローブ座の中で『ハムレット』を見ていた当時の観客たちは、舞台上の海の彼方のイギリスをどのように思い描いたでしょうか。あるいは劇が終わってグローブ座を出たとき、舞台の彼方としてのイギリスが、劇場の外に広がっていることをどのように感じたでしょう。

 舞台上での『ハムレット』劇の内では語りによってしか表現されず、曖昧で不明瞭に描かれていたイギリスが、グローブ座という劇場を出ると現実に広がっているのです。つまりそれはハムレットの語るイギリス (Not to be) が実際に目の前に広がるイギリス (To be)として現れるわけです。観客たちがそこに感じたのは、笑いだったかもしれないし、めまいのような何かであったかもしません。いずれにせよ、『ハムレット』におけるイギリスの描き方は当時の観客たちに不思議な感覚を与えたのではないでしょうか。

 このようなグローブ座で演じられている『ハムレット』とそれを取り巻く現実のイギリスとの関係はこの戯曲『ハムレット』を解き明かしていく上で一つの重要な要素と思われるのです。そして、この劇が終わってみると劇の外側のものに劇そのものがくるまれている、といった感覚は、閉幕後のホレイショーの語りに通じるものがあるようなのです。『ハムレット』劇そのものを閉幕後のホレイショーの語りを目に見えるように舞台に演出したものとみなしますと、やはり劇が終わった後に劇の外側のもの『ハムレット』劇がくるまれていることになります。

 こうしてみますと閉幕後のホレイショーの語りと『ハムレット』におけるイギリスとは深い関係があるように思われます。やはり対称的に考えうる何かのようです。詳しく見ていきましょう。

 閉幕後のホレイショーの語りは観客から見られないという点でNot to beでした。それを21日に投稿した9ハムレットウロボロスの記事では「Not to be領域(閉幕後)のNot to be(語り)」と表現しました。しかし閉幕後のホレイショーの語りはNot to beであるとはいえ、劇の時間の流れに連続しています。例えば、閉幕をずらしてホレイショーがフォーティンブラスに語っていくところまで演出することも可能です。この場合には「 To be領域(閉幕前)のNot to be (語り)」となり、観客たちはフォーティンブラスと共に『ハムレット』物語をホレイショーから聞くことになるでしょう。

 同様にハムレットが語る海上や海の向こうのイギリスでの出来事も舞台の彼方の出来事であり、観客は見ることができないでしたが、これも演出できない事ではありません。「海上」や「イギリス」という場を付け加えてしまえばいいでしょう。

 このように、これらは演出の上でNot to beであるとはいえ、To beとすることができます。劇世界の出来事でテキストに書かれている事象ですから、見えるように演出することが可能なのです。

 それに対して、『ハムレット』劇をホレイショーの語りが見えるように演劇にしたものと見なす事と、観客が現実のイギリスを知覚する事も、それぞれNot to beからTo beという方向を取るのですが、その様態は異なっています。それらのTo beは、「舞台上に表現される」というTo beとは次元が異なっているのです。

 当然、テキスト内にはそれらは描かれてはいません。テキストに沿って演じられた劇を超えて現れ出るからです。具体的には観客の知覚、思考の問題という事ができるでしょう。

 以上を表として示したのが、下の表です。ここでは、見える形でのホレイショーの語りとしての『ハムレット』と現実のイギリスは、舞台で演じられている『ハムレット』と区別するために Meta to beとしました。

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 このように閉幕後のホレイショーの語りとイギリスはともにTo beからNot to beそして全体を包摂する次元の高まったMeta to beへという過程を持っています。『ハムレット全体を「それはホレイショーの語りである」という概念が包み、浸透しているように、イギリスもまたグローブ座で演じられている『ハムレット』の舞台を包み、浸透しているのです。