ハムレットのシンメトリー

Hamlet's Questions and One Man's Answers

30.『ハムレット』の最も中心にある対称ペア

 さて、今回はいよいよ『ハムレット』のシンメトリー構成の最後のペアを探します。シンメトリー構成の表に残っている空欄は1つだけで、それは第三幕第三場クローディアスが神に自らの罪の許しを祈っているところを、身を隠したハムレットが背後からクローディアスを狙う場面です。これと対称となる場面が後半部にあるのですが、この対称ペアは最も中心にあるため、ほとんど連続しています。

 

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ABCDEF| fedcba構成


 それでは問題となる第三幕第三場から第四幕第三場までを、まずは大まかに見てみましょう。

 劇中劇が中断した第三幕第二場が閉じ、第三幕第三場になると、ハムレットに対して不安を感じたクローディアスが、ローゼンクランツとギルデンスターンにハムレットの狂気の危険性を訴え、ハムレットをイギリスに送るので、その渡航に同伴する事を命じます。ローゼンクランツとギルデンスターンが退場すると入れ替わりにポローニアスが登場、ハムレットがガートルードの居室に向かった事を報告し、自分は居室の壁掛けの裏に隠れてハムレットと母親との話し合いを聞きそれを報告しましょうと言い退場します。

 ポローニアスが退場すると、クローディアスは自らの行いに対する葛藤を独白し、兄殺しの罪の許しを、ひざまずいて神に祈ります。そこにハムレットが登場し復讐を遂げようとしますが、祈りの最中のクローディアスを殺してはその魂を天国に送ることになるのではないかと感じて思いとどまります。

 第三幕第四場はガートルードの居室の場面で、そこにハムレットが来る前にポローニアスが壁かけの裏に隠れます。ガートルードはハムレットに、あなたの父が怒っていると伝えますが、ハムレットも私の父が怒っていると返します。ハムレットはガートルードに本当の姿を見るようにと鏡を向けます。ガートルードは殺されるのかと思い、助けを呼ぶと壁掛けの裏のポローニアスも声をあげます。それをハムレットは壁掛け越しに刺してしまいます。ポローニアスを殺してしまったハムレットは、この後もガートルードを言葉によって責めます。そこに父の亡霊が姿を現します。これはハムレットに見えてもガートルードには見えないので、ハムレットの狂気の仕業だとガートルードは言いますが、ハムレットはそれを否定します。この後もハムレットはひとしきり言いたいことをガートルードに言うと、ポローニアスの死体を引きずって退場します。

 第四幕第一場ではクローディアスのもとにガートルードが来てハムレットの様子を報告、ポローニアスを刺し殺してしまった事を伝えます。クローディアスはローゼンクランツとギルデンスターンにポローニアスの遺体を探すように命じ、第四幕第二場で、二人はすぐにハムレットの所に行き、遺体のありかを聞き出そうとしますが、ハムレットは答えをはぐらかします。第四幕第三場、クローディアスのもとに連れてこられたハムレットは遺体のありかをほのめかします。そしてハムレットはイギリスへ行くことを命じられ退場します。クローディアスは一人になるとイギリスでハムレットが死刑となる企てを独白し、第四幕第三場が閉じます。

 さて、このように書き出してみましたが、ハムレットがクローディアスを殺そうとしながらそれを見送ってしまう場面と対称となっている場面に気づくことができたでしょうか?この場面をより詳しく見てみましょう。

 第三幕第三場でクローディアスは自らが犯した兄殺しの罪への悔悟と、それによって自らが得た利益との間の葛藤を独白し、神に贖罪を祈ります。そこにハムレットが登場します。

 

ハムレット 今だ、今ならすぱっとやれるかもしれない。祈りの

最中だから。よし復讐だ―するとあいつは天国へ行って

こっちは復讐完了。いや、これは考えものだぞ。

悪党が父上を殺して、それでそのお返しに

一人息子のわたしがその悪党を送りとどける、

天国へと。

なんということだ、それでは報酬目あての雇われ仕事、復讐ではない。*1

 

 心を清めている最中に殺しては、その魂は天国に送り届けてしまう。地獄に落とすには、救いようのない行為にふけっている時に殺さねば、という理由でこの時は復讐を諦めてしまうのです。

 この後、ハムレットはガートルードの居室に向かい、そこでガートルードと話すわけですが、直前にクローディアスを殺そうとしていながら、それを諦めたフラストレーションからでしょうか、壁掛けの裏に気配を感じると迷いなくそれを突き刺しています。そこにはポローニアスがいて、ハムレットは彼を刺し殺してしまったわけです。こちらもテキストを見てみましょう。

 

ハムレット いいですか、ちゃんと鏡を立ててあげます、

あなたの本当の姿を見ることができるように。

ガートルード 何をするの!わたしを殺そうというの?

助けて、だれか来て!

ポローニアス [壁掛けの後ろで] 大変だ、助けてくれ!

ハムレット なに、鼠か?  [壁掛けを通してポローニアスを刺す]

               よし死んだな、死んだぞ!

ポローニアス ああ、やられた。

ガートルード まあ、なんてことを!

 

 対称となっているのはこれです。身を隠しているポローニアスをハムレットが殺してしまう場面です。第三幕第三場ではハムレットがその身を隠してクローディアスを殺そうとしますが、第三幕第四場ではハムレットが身を隠しているポローニアスを殺してしまいます。このように隠れて殺害を狙う事と、隠れていたものを殺害する事が対称関係になっているわけです。

 さて、これまで対称構成のペアは舞台上に見えるように演出されているか否かという観点から、一方がTo be 、もう片方がNot to beというように作られていました。この隠れて殺害を狙う事と隠れていたものを殺害する事はどうでしょうか。

 この対称ペアでは一方が隠れているとはいえ、舞台上に登場しており、ともに観客から認識されています。それゆえに観客からの認識と言う意味では、この隠れていることはNot to beとは言えないでしょう。ここでは観客ではなく、その同一舞台上の別の登場人物に認識されているか、されていないか、ということが問題となっているように思われます。

第三幕第三場では、神に自分の罪の許しを祈るクローディアスとその背後に身を隠しクローディアスの殺害を狙うハムレットの場面ですが、ここではクローディアスはハムレットの存在を認識していません。つまりその場での彼にはハムレットNot to beである、と言うことができるでしょう。当然、クローディアスを殺害しようと集中しているハムレットにはクローディアスはTo be です。

 それに対して、対称となる場面の第三幕第四場では、ポローニアスは隠れているため、ハムレットから認識されておらずハムレットにとってNot to beであり、ポローニアスはハムレットの様子をうかがうために壁掛けの裏に隠れており、ハムレットを認識していることから、ポローニアスにとってハムレットTo be ということになるでしょう。

 しかし、実はハムレットはポローニアスを認識していながら認識していないふりをしていたとも考えられます。この事は、ハムレットがガートルードの居室に入ってくる直前までポローニアスはおしゃべりをしている事で、そのような解釈の余地が作られているようなのです。その場合、ポローニアスは壁掛けの裏に隠れているとはいえ、ハムレットからは丸見えであるとも言えます。そしてポローニアスからは壁掛けによって遮られているため視覚によってはハムレットを認識できないと言うこともできるでしょう。

このように考えると、もしかしたら第三幕第四場の祈りの最中のクローディアスも背後のハムレットの存在を認識していたのではないか、という疑いも出てきます。しかし結局のところ、こういった登場人物の内面についても、シェイクスピア自身がどちらとも解釈できる余地を作ったのではないでしょうか。

 さて、これまでの対称ペアはTo be,or not to be で読み解かれる意味があるのと同時に、ルネサンス思想と深い関係を持っていました。今回の、隠れて殺害を狙う事と隠れていたものを殺害する事の対称ペアはどうでしょうか。実際のところこの対称ペアを見る限りルネサンス思想との関係は見当たらないように思われます。だからあまり面白みがないように見えるのです。少なくともここまでは。次回はもう少し面白みを探っていきたいと思います。

*1:ハムレット』の引用は、大場建治訳、注解 シェイクスピア選集8 ハムレット 研究社 2004年から