23.父を殺された息子たち
前回は、ルネサンスにおいて重要な概念である精気というものが、どのようなものであるかを記してみました。今回はこのブログの主題である『ハムレット』のシンメトリー構成に戻ります。
これまでに解説してきた『ハムレット』の対称ペアはA|a 亡霊と亡骸、B|b結婚式と葬式、E|e 劇中劇とイギリスの3つのペアです。
この表を見ますと、まだ3つの欄が空白です。今回は第二幕第二場の「C.フォーティンブラスが無法者を集め領土奪還を企てるが差し止められる」と対称ペアとなる箇所を探していきたいと思います。「フォーティンブラスが無法者を集め領土奪還を企てるが差し止められる」と書きましたが、舞台でこれが演じられているわけではありません。この場面では、フォーティンブラスの企てが差し止められたことが、ノルウェーに派遣され帰国した使節によって報告されるのですが、それ以前のいくつかの場面で、フォーティンブラスのこの企てとデンマーク側の対処をみる事ができます。
先ずはその発端からみていきましょう。第一幕第一場でホレイショーが父ハムレットが父フォーティンブラスとの一騎打ちに打ち勝ち、領土を獲得した事を説明した後、現在、息子フォーティンブラスがその領土の奪還を企てている事について語ります。
ホレイショー さて、ここに彼の忘れ形見の
フォーティンブラスがいる。血気にはやる世間知らずの
若者で、ノルウェーの辺境のここかしこ、
浮浪の無法者を手当たり次第抱え込んでいる、
どうやら腹に一物、命知らずの冒険にその連中を
使おうとのことらしいが、わが政府の見るところ
その目的はすでにして明々白々、
父親の失った領土を、強腕、
強硬の手段を尽くしてわが方から
奪還するところにある。つまりこれがだね、
わが方の緊急軍備の主たる理由というか、
われわれがこうして夜警に駆り出され、国じゅう大騒ぎで
走り回っているのも、すべてそこに発している。*1
フォーティンブラスに対して、デンマークは軍事的な対処を覚悟しているわけですが、外交によってそれを避けることも試みられます。それがノルウェーへの使節の派遣です。これは第一幕第二場でクローディアスがフォーティンブラスの企てを説明した後、ヴォルティマンドとコーニーリアスに命じられます。
クローディアス ということで、国王として皆に集まってもらった。
この件についてはこのようにしたい、まず国王たるわたしから
フォーティンブラスの叔父であるノルウェー王に親書を認めた。
王は衰弱しきって病臥中であるから、甥の企てなどなにも
聞き知っておらぬであろうが、これ以上の暴走は
強く制止してもらうことにする、徴発にせよ
なんにせよ、軍全体の編成はすべてこれ彼の良民から
なされるはずのものだからな。この親書の使者には
コーニーリアス、そしてヴォルティマンド、お前たちを起用する・
ノルウェー老王への挨拶を持参する役目だ
ヴォルティマンドとコーニーリアスは、命を受けて退場します。第二幕第二場では、この二人がノルウェーから帰国し、ヴォルティマンドがノルウェー王からの返事を王に報告します。
ヴォルティマンド わが方よりの抗議に王はただちに応じられ、
甥御に対し即刻徴兵の中止を指示、王にはこれを対ポーランド戦の
準備と受けとめられておられたとのことでございます。
しかし調査の結果、畏れ多くも陛下に
対するものと判明いたしましたれば、お怒りもあらわに、
老齢病臥中の自分の無力をあなどって
よくも欺きとおしたものよと、フォーティンブラスに
命令書を送り届けると、彼も結局これに従って、
ノルウェー王の叱責を受けた上、最終的には
叔父上の面前にて、二度とふたたび陛下に
対し奉り挙兵の企てをなさぬ旨を誓言
このように息子フォーティンブラスに関しての話題は、第一幕第一場、第一幕第二場、第二幕第二場で、それぞれ別々の人物によって語られています。
ここで興味深いのは、フォーティンブラスとハムレットの対称性です。ともに父を殺されており、その結果、彼らの叔父がそれぞれの国の王となっています。そして二人とも父親である先王と同じ名前を持っており、父親が亡くなった後の状況に何らかの不満を持っています。また、外交的には、父親同士は争いましたが、叔父同士は友好的な関係があるようです。
さて、このフォーティンブラスのエピソードの対称ペアが後半部にあるわけですが、それを探るために、これまでに解説した『ハムレット』のシンメトリー構成の図をもう一度見てみましょう。
左側が前半部で、それに対称となる後半部の箇所が右側に記されているわけですが、ここで問題としているのはC|cの対称ペアです。前半部のCは、第二幕第二場のフォーティンブラスの話題で、これと対称となるc はe のハムレットのイギリスへの渡航とb の第五幕第一場のオフィーリアの葬式の間という事になります。ハムレットのイギリスへの渡航は、舞台上に表現されていないため舞台の場を明確に特定できないのですが、クローディアスがハムレットにイギリス行きを命じた第四幕第三場以降とすることができます。そうすると、第四幕第三場から第五幕第一場のオフィーリアの葬式との間にc がある事になります。
この第四幕第三場から第五幕第一場の間にどのような事があるのかを先ずは簡単に見てみましょう。
クローディアスがハムレットにイギリス行きを命じて第四幕第三場が閉じ、第四幕第四場になりますとフォーティンブラスの軍隊が登場します。この後、ハムレットの独白*2があり第四幕第四場は閉じます。
第四幕第五場は心を病んだオフィーリアがガートルードに面会する場です。あわれなオフィーリアはガートルードとクローディアスの前で歌を歌い、二人の涙を誘います。
その後、オフィーリアの兄であるレアティーズが乱入し、クローディアスに父親の死について問い、詰め寄ります。ここでレアティーズは狂ったオフィーリアを目にしてショックを受けます。
第四幕第六場はホレイショーが船員からハムレットからの手紙を受け取り、それを読む場面です。 第四幕第七場はクローディアスとレアティーズがハムレットに対する策略を巡らす場面です。そして死刑に処するためにイギリスに送ったハムレットが、デンマークに帰国した事を知らせるハムレット自身からの手紙をクローディアスは受け取ります。
この第四幕第七場の最後に、ガートルードがオフィーリアが溺死した事を知らせ、その場面を描写します。
そして第五幕第一場は墓場の場面です。この場では墓掘り人夫の道化が2人登場し謎かけをし、ハムレットと対話します。この後、オフィーリアの葬儀に続きます。
このようにかなり内容が詰まっているように見えますが、そのほとんど全ては第三幕第四場でハムレットがオフィーリアとレアティーズの父親であるポローニアスを殺害した事に端を発しています。ハムレットがイギリスに送られたのは、ポローニアス殺害でハムレットが危険であると、クローディアスに判断されたためですし、オフィーリアが心を病んだのも、レアティーズが群衆を引き連れてクローディアスに迫ったのも、その父親の死の原因が隠され不審であったためです。
父であるポローニアスがハムレットに殺害されたことで、レアティーズもハムレットとフォーティンブラスと同様に父を殺された息子という事になります。しかし、ここではレアティーズは父を殺したのがハムレットであるとは知らず、クローディアスにその矛先を向けています。
レアティーズ 悪辣非道の王、やい、父を返せ。
ガートルード 落ち着いて、ね、レアティーズ。
レアティーズ 落ち着いていられる血が一滴でもあれば、おれは
私生児だ、父親は妻を寝取られた間抜けな亭主で、あの貞節な
母親は汚れない清純な額に娼婦の烙印を
押されるだろう。
こ、こ、これはハムレットがやろうとして、ずっとできないでいる事です。それを即座にしてしまうのは、もはやハムレットへの当てつけかのようです。なにせハムレットは亡霊から父親の殺害を知らされてから、狂ったふりをしてみたり、劇を演出したり、挙句はうざいけれども殺すほどでもない老人を殺してしまったりと、その行動は迷走し続けているのですから。しかしレアティーズはその父の復讐を、その標的が間違っていたにしろ、たちまちのうちに実行しようとするのです。
このようにこの場面のレアティーズは、ハムレットと対称的に描かれていることがわかります。むしろ対照的といった方がいいのでしょう。シンメトリーというよりもコントラストです。先に比較したハムレットとフォーティンブラスの関係は、あきらかに対称的に描かれていたのと対称的です。いや対照的です。
しかし、ここで私たちが問題としているのは第二幕第二場のフォーティンブラスの話題と対称となっている箇所です。それはどこなのか、次回明らかにしたいと思います。でも、ここまでの内容をよく読んでみれば予想がつくのではないでしょうか。