ハムレットのシンメトリー

Hamlet's Questions and One Man's Answers

22.精気 = プネウマ ⇒ スピリトゥス ⇒ スピリット ≒ 気

 前回は精気というものがルネサンス思想の中で重要な要素であり、シェイクスピアの作品、とりわけ『ハムレット』の読解を深めるために、この概念が必要なのではないかとしました。一般的には『ハムレット』の読解に精気の概念などが必要だなどとは言われることはまずありませんが、この後の『ハムレット』の対称構成を解いていくにあたって、この精気について多くの箇所で触れなければならなくなりますので、今回、少し『ハムレット』から離れた形でこの精気について記そうと思います。この精気はとても広い範囲での概念であり、その意味するところも捉えどころがないにもかかわらず、ルネサンスの世界観において重要な位置を占めています。

 今回のブログの表題は「精気 = プネウマ ⇒ スピリトゥス ⇒ スピリット ≒ 気」としました。これは「精気とはギリシアにおけるプネウマがラテン語でスピリトゥスと訳され、さらにそれが英語のスピリットとなった。そしてその概念は中華文化圏の「気」の概念に近い」という事を表しています。

 大雑把に捉えればルネサンス思想の中の精気とは、東洋の「気」のようなものだという事ができるでしょう。しかし「気」という概念自体が東洋文化と密接に関わっているため、西欧文化に育まれた精気と同じものだという事はできません。例えれば、ラーメンとパスタが異なるくらいに異なっているという事です。しかし文化を超えて共通する面もあり、それについてはまた後に取り上げてみたいと思います。今回はプネウマ、スピリトゥス、スピリットという流れ、つまり古ギリシアからラテン世界をへて、シェイクスピアのイギリスに及んでいる精気の概念を見ていきたいと思います。

 まずは古代ギリシアのプネウマです。プネウマとはギリシア語でもともとは息、風を意味しており、後にキリスト教においては聖霊の意味でも使われた言葉です。古代ギリシア医学ではこのプネウマは生命力を担う自然要素の一つとされ、アリストテレスの『動物生成論』においても以下のように言及されています。

 

精液に繁殖力を与えるものは、常に精液の中にある。つまりそれは、いわゆる熱である。この熱は、火やそれに類する力ではなく、精液と泡の中に蓄えられたプネウマであり、このプネウマの性質は、天体の構成要素と類似している。*1

 

 プネウマとは精液の中にあり、しかも天体とも性質が似ているという。こんなミクロとマクロの世界が類似しているというのは、いったい何において似ているというのでしょう。しかも、精液と天体・・?

 おそらくこれは不滅性や永遠といった性質でしょう。古代においては、天体は永遠性を体現しているものでした。それに対して地上の事物は永遠であるものは何もありません。しかし生き物は生殖によって種を永遠に近いほどに残していくことができます。これが精液の中のプネウマの性質が、天体の構成要素と類似しているというその性質なのだと思われるのです。

 そしてそのような永遠性といった性質に関わってるために、プネウマは宗教、密儀においても重要視されていました。新プラトン主義では、プネウマは天上と人間の媒介となる重要な役割を担っていました。

 

ポルピュリオスにあっては、天体の諸軌道を経て地球へといたる魂の降下は、魂が天空の衣、すなわちプネウマ的な繊細な物質を新たに身にまとう過程として現れてくる。そのプネウマ的物質の実体は天上の物質によって形成されているが、天体間を旅するうちに、徐々に翳りと湿り気を帯びる。肉体が死を迎えたあと、もし魂が物質と手を切る術を心得ているならば、その魂はプネウマという媒介物とともに空へと昇っていく。その反対に、魂が物質から離れられない場合、プネウマ=媒体は重さを増し、まるで貝殻に塞がれて身動きの取れない牡蠣のように、魂は地上へと引きとどめられ、懲罰の場へと連行されるのである。*2

 

 キリスト教ではプネウマは聖霊というもっとも重要な概念であり、キリスト教成立と同時代のグノーシス主義においてもプネウマは重要な概念でした。そしてこのプネウマはラテン語ではスピリトゥスと訳されました。

 そして古代からルネサンスにかけて、精気が担っていた役割で、もう一つの重要な分野が医学、生理学の分野でした。これについて前回の投稿で触れましたが、ガレノス以来のルネサンス期の医学ではこの精気が重要な役割を持っていました。それによると、肝臓では「自然の精気」を、心臓では「生命の精気」そして脳において「霊魂の精気」がそれぞれの役割を演じます。肝臓での「自然の精気」は生命を育み、心臓での「生命の精気」は活力を与え、脳での「霊魂の精気」は精神活動を生み出します。それぞれの役割は異なっていても、全て精気が生み出しています。この事は英語のspirit という言葉が意味するのが、活力であり、精神であり、さらに霊でもある事に表されています。

 精気は人間の身体と霊との媒体でもあったのですが、これは人間だけに限ったことではありませんでした。世界には物質的側面としての身体があり、霊的側面の世界霊魂があるならば、それらの媒体となる世界精気 spiritus mundi が存在するのではないか、15世紀イタリアの哲学者で医師、そしてルネサンスプラトン主義の礎を築いたマルシリオ・フィチーノはそのように考えました。そしてこの宇宙を満たす世界精気は、星辰の影響を地上世界と人間に与える媒体ともなりました。精気によって星辰の影響を受ける人間は、その影響によっては健康にもなれば、病気にもなる事がありました。そして人間の精気に影響を与えるのは星辰だけではなく、地上の事物も影響を与えます。その地上の事物とは例えば、お香であり、葡萄酒であり、音楽でした。これらによって病人の精気に働きかけ治療が施されました。このような精気に基づいた治療と哲学をフィチーノは体系づけました。

 さて、これら精気に基づいた医学は17世紀科学革命を経て次第に廃れていきます。この科学革命の時代には、すべてを物質の機械的な運動に還元する機械論哲学によって世界が解釈されることにより、全世界に満ち満ちて作用しているとされていた精気は、ごく微小な物質の作用なのではないかと仮定されるようになりました。さらに解剖学の発達と血液の循環の発見によって、ガレノス以来の医学は見直さざるを得なくなります。機械論哲学は生理学にも及び18世紀にはフランスの医者のラ・メトリーによって『人間機械論』といった著作が出版されるに至ります。

 このようにして精気は科学革命によって、次第に、しかしほぼ完全に科学から追いやられていきます。英語で精気を意味するspirit という言葉は、もはや世界に満ちて、天と地の媒介となり、精神と身体を結び付ける存在ではなくなってしまいます。現在ではおそらくspirit という言葉からそのような意味はほとんど脱落してしまったのではないのでしょうか。

 そしてこの科学革命の前夜というべき時代に書かれたのが『ハムレット』なのです。そのために読み方によっては、この時代の問題を多角的に見る事ができる作品なのです。

 次回は再び『ハムレット』のシンメトリー構成の解読に戻ります。第二幕第二場でノルウェーへ派遣された使者が帰国し、ノルウェー国王に取り計らって息子フォーティンブラスが領土奪還を断念させたことがクローディアスに報告されます。前半部のこの箇所と対称ペアとなる箇所が後半部にあります。次回はこれについて見ていこうと思います。

*1:ジョルジョ・アガンベン 岡田温司 訳 『スタンツェ』(2008 ちくま学芸文庫

*2:前掲書