ハムレットのシンメトリー

Hamlet's Questions and One Man's Answers

24.特定の体液が過剰な人たち

 前回は、第二幕第二場のフォーティンブラスの話題に関連して、フォーティンブラスがハムレットと対称的に描かれており、レアティーズがハムレットと対照的に描かれている事を指摘しました。対称的と対照的の意味がなんだか混ざってきそうなので、表現を変えましょう。フォーティンブラスとハムレットはシンメトリカルに描かれており、レアティーズはハムレットに対してコントラストが強調されて描かれているのです。どちらにせよ対比されるように描かれているわけです。

 もう一度振り返ってみてみましょう。ハムレットとフォーティンブラスは、二人とも父親である先王と同じ名前の父を持っています。彼らの父は殺されており、その結果彼らの叔父がそれぞれの国の王となっています。そして父が亡くなった後の状況に、二人ともなんらかの不満を抱いています。このように共通する特徴を持って描かれており、シンメトリカルなのです。

 一方、コントラスティブな二人を見てみましょう。ハムレットとレアティーズです。ハムレットがレアティーズの父ポローニアスを殺してしまった事で、レアティーズもハムレットとフォーティンブラス同様、父を殺された息子となったのですが、ハムレットと違い即座に行動に移します。フランスからデンマークに帰国し、群衆を味方につけてクローディアスに迫ります。

 

レアティー 悪辣非道の王、やい、父を返せ。

ガートルード 落ち着いて、ね、レアティーズ。

レアティー 落ち着いていられる血が一滴でもあれば、おれは

私生児だ、父親は妻を寝取られた間抜けな亭主で、あの貞節

母親は汚れない清純な額に娼婦の烙印を

押されるだろう。*1

 

 これをハムレットの独白と比較してみましょう。第二幕第二場の俳優の演技を見た後の独白からです。

 

ハムレット ああ、悪党、血まみれの好色漢、

冷酷無残な裏切者、色きちがいの、人でなしの、大悪党!

よし、復讐だ!

まったく大間抜けとはおれのこと、ごりっぱな話しだよ、

殺された最愛の人の当の息子、

天国からも地獄からも復讐をせかされている復讐者、

そのおれが売春婦なみに、心の内を口先に広げてみせて、

果ては口ぎたなく毒づき始める、そうとも、売女のやり口だ、

下種野郎め!ああいやだ、いやだ!少しは考えてみろ、この頭。

 

 ハムレットはこの後、クローディアスにその行為を演出した演劇を見せる事を思いつくのですが、即座に直接行動に移すレアティーズと、行動しようにも迷走してしまうハムレットは強いコントラストを作っているのです。

 しかし、私たちがここで探しているのは、第二幕第二場のフォーティンブラスの話題と対称となる後半部分です。フォーティンブラスはハムレットと対称的で、そのハムレットはレアティーズと対照的となるから、フォーティンブラスとレアティーズは間接的にシンメトリーとなっている、などとまわりくどいことになっているのでしょうか。

 いや、そうではありません。このフォーティンブラスと第四幕第五場でクローディアスに迫るレアティーズは明らかに対称となっているのです。シンメトリーです。何度も繰り返すようですが、それぞれをもう一度見てみましょう。

 まずフォーティンブラスですが、第一幕第一場で亡霊が去った後にホレイショーによって、ノルウェー王フォーティンブラスとデンマークハムレットとの一騎打ちの結果ノルウェーが失った領土を、息子フォーティンブラスが浮浪者や無法者を集めて奪還しようとしているらしい、ということが語られています。そして、第一幕第二場の婚礼の場では、そのフォーティンブラスの企てを止めさせるために、クローディアスがフォーティンブラスの叔父であるノルウェー王に親書を持たせた使者を送ります。その使者は第二幕第二場で帰国し、ノルウェー王の叱責を受けてフォーティンブラスはデンマークへの出兵は取りやめ、ポーランドの攻略に向かうことになったことが、帰国した使者によって報告されます。

 これに対して第四幕第五場では、フランスから帰国したレアティーズが父の死に不信感を抱き、群集を引き連れてクローディアスに詰め寄ります。舞台上にはこの群集は現れませんが、彼らは「レアティーズを国王に」と叫び暴徒と化しています。そしてレアティーズ自身も激情に駆られすぐにもクローディアスを倒すかの勢いです。レアティーズの父ポローニアスは、第三幕第四場でハムレットに誤って殺されているのですが、その事実は隠され埋葬も秘密に行われていました。そのためにレアティーズはクローディアスに復讐心を抱いているのですが、クローディアスにその復讐の矛先が誤っていると説得され、その後の第四幕第七場、二人の間でハムレット殺害の計画が練られることになります。

 このように並べて見るとこの二つのサブストーリーには「父を殺された息子が兵を集めて、デンマークあるいはクローディアスに攻めようとするが、その意志は説得によって成し遂げられず方向を変えることになる。」というモチーフが共通して見られます。これをわかりやすくしたものが下の表です。

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 そしてフォーティンブラスについてはこのモチーフが第一幕第一場、第一幕第二場、第二幕第二場と分散して語られているのに対して、レアティーズの方では第四幕第五場の舞台上にこのモチーフが集中して演じられます。また、フォーティンブラスはデンマーク国外からの脅威であるのに対し、レアティーズが率いる群集はデンマーク国民で、内乱に発展しようとしています。

 このようにこの二つにおいてもフォーティンブラスのエピソードが舞台上では演じられず語りによって表現されていることでNot to beであるのに対して、レアティーズの方は舞台上で演じられていることでTo beである事がわかります。このように見ますと、この二つが明らかに対称的に描かれていることがわかるでしょう。

 この二人の行動はともにその父親が殺されたことに発端をもつのですが、フォーティンブラスの行動は計画的であり理性的に見えるのに対して、レアティーズの行動は直情的です。そして、これら二人の性格の特徴は、もう一人の父親を殺された息子であるハムレットと対比されるための特徴であるかと思われるのです。ハムレットは父の復讐を誓っても、あれやこれやの思いと言葉、それも独り言ばかりが多くて、実際の行動にはなかなか移せないでいました。

 このハムレットの特異な性質は、憂鬱質とされ、これまでも指摘されていました。この憂鬱質とは、性格の分類の中の一つのようなものとして使われていますが、もともとは医学的な概念でした。それは四体液説といわれるものに基づき、憂鬱質はその四体液による気質の一つで、黒胆汁質とも呼ばれます。

 四体液説とは、これもまた古代ギリシアからルネサンスを経て、わりと近代19世紀あたりまで信じられていた概念です。それによると、人間の健康は四つの体液が正しいバランスを保つことによって維持され、いずれかの体液が過剰となる事によって病となり、そして過剰となった体液の特徴がその人物の性格や体質に現れるというものです。

 四体液説ですから、黒胆汁質の他に、胆汁質、多血質、粘液質とあります。さて、フォーティンブラスとレアティーズが父を殺された息子として、ハムレットと対比的に描かれ、ハムレットが憂鬱質であるのなら、この四体液説による気質の残る3つの気質のいずれかに、フォーティンブラスとレアティーズがあてはまるのではないか?そんな推測をしたくなります。

 それでは、憂鬱質の他の気質はどのようなものなのでしょうか?それぞれの性格を一言で述べた文が大著『土星とメランコリー』の中にありました。ユーグ・ド・フーロア(1174没)『魂の治癒』からの引用だそうです。

 

医者が言うように、多血質の人は優しく、胆汁質の人は怒りっぽく、黒胆汁質の人は悲しみにくれやすく、粘液質の人は平静であるからである。*2

 

 これはもう、レアティーズは胆汁質に決まりでしょう。それではフォーティンブラスは?残るのは多血質か粘液質です。優しい人か、平静な人か、どちらでもありそうでいまいち判断できません。それではもう少し詳しく書かれた四体液の気質を見てみましょう。

 

【多血質】   ハートが温かく友好的、楽天的にして自信家。利己的になることも。

【粘液質】   緩慢にして穏やか、内気にして理性的、ぶれない。

【胆汁質】   激しやすく精力的で、情熱的

【黒胆汁質】 悲哀や不安の念、抑うつ的、詩的にして芸術的*3

 

 こちらを見ると、少なくとも多血質の特徴が、フォーティンブラスに描かれているとは思えません。それでは粘液質はどうでしょう。『ハムレット』の中ではフォーティンブラスは、激したり感情的になったことはありませんので、穏やかな性質であるかもしれません。数少ない出番の第五幕第二場では、フォーティンブラスは血なまぐさい光景に驚愕しますが、決してそれで取り乱したりはしません。すぐに平静を保ち、自らの権利を主張することもできます。これらから、どうやらフォーティンブラスは粘液質として描かれているようです。

 ここまで考察した事をまとめると、第二幕第二場のフォーティンブラスの話題は第四幕第五場のレアティーズが乱入する場面と対称となっており、そこには四体液による気質のうち、胆汁質と粘液質が特徴的に描かれている、となります。

 次回はこの四体液による気質について、さらに考えてみたいと思います。

*1:ハムレット』の引用は、大場建治訳、注解 シェイクスピア選集8 ハムレット 研究社 2004年から、以下同様

*2:レイモンド クリパンスキー、アーウィン パノフスキー、フリッツ ザクスル著 榎本武文、加藤雅之、尾崎彰浩、田中英道訳『土星とメランコリー』 晶文社 1991年

*3:キャサリン・コーエン著 小須田健訳『心理学大図鑑』三省堂 2013年