ハムレットのシンメトリー

Hamlet's Questions and One Man's Answers

12.劇中劇とシンメトリーとなるのは

 ハムレットのイギリスへの渡航です。これが『ハムレット』の中で劇中劇とシンメトリーとなります。

 しかし、ハムレットのイギリスへの渡航とはどのようなものだったでしょうか?『ハムレット』を読むか観たのがかなり以前の方であれば、劇中劇は印象に残っていても、ハムレットのイギリスへの渡航など思い出すのが難しいかもしれません。それは仕方がありません。そのように印象に残りにくく作られているのですから。ですので、それがどのようなものだったか簡単に振り返ってみたいと思います。

 劇中劇の後、クローディアスはハムレットの存在に危険なものを感じ取ったため、ローゼンクランツとギルデンスターンをお供に付け、ハムレットにイギリスへ向かわせます*1。イギリスへの渡航の船内での夜、胸騒ぎを感じたハムレットは、デンマーク王からイギリス王にあてた親書の封を切ってそれを読みますと、そこにはハムレットを到着次第、即座に処刑するようにと書かれていました。ハムレットはその親書の代わりに、ローゼンクランツとギルデンスターンを処刑するようにとした内容のものを偽造し、封をします。その翌日、ハムレットらの乗る船は海賊船に襲われ、ハムレットは海賊の船に乗り込み捕虜となってしまいます。そのままハムレットデンマークに戻りますが、一方のローゼンクランツとギルデンスターンはもとの船でそのままイギリスに向かい、そこで自ら持って行った親書にしたがって処刑されてしまいます。

 このように書きましたが、『ハムレット』の舞台では上に書いたようなことは表現されていません。それらはハムレットからの手紙と回想によって表現されているのです。しかもその手紙と回想も何回かに分かれているため、観客の印象には残りにくいはずです。

 さて、いったいこのハムレットのイギリスへの渡航のエピソードのどこが劇中劇と対称となっているというのでしょうか。確認のために劇中劇の場面がどのようなものだったかを振り返ってみましょう。

 劇中劇にはハムレット、ホレイショーをはじめ、クローディアス、ガートルード、ポローニアス、オフィーリア、ローゼンクランツ、ギルデンスターン、延臣たちが観客となり、さらに劇中劇の役者たちが登場しますので、舞台上の役者の数は最も多いでしょう。劇中劇はまず黙劇でそのあらすじが演じられた後、口上が述べられ、王と王妃を演じる役者が登場します。劇中劇が演じられている間、ハムレットはオフィーリアにその劇の解説をし、ホレイショーはクローディアスの様子をうかがいます。劇中劇の王が午睡し王妃が退場すると暗殺者であるルシエナスが登場、王の耳に毒液を注ぎ込みます。そこでクローディアスが青ざめて席を立ったため、ポローニアスの命令で劇中劇は中止となります。その後、ハムレットとホレイショーは、クローディアスが劇中劇の毒殺の瞬間に様子が変わったことを確認しあいます。

「まこと不とどき極まりない大芝居。ですがなんということはない、陛下をはじめわれら一同潔白の身には痛くも痒くもない、・・・あいつは王を毒殺するんだ、王位と領地ほしさに庭園のなかで。・・・話はちゃんとイタリア語で書いて残っている」(第三幕第二場)
ドラクロワ1835年

 これでもやはりこの二つが対称的になっているとはわかりにくいでしょう。しかしこの二つを次のように表現するとどうでしょうか?

 

劇中劇

ハムレットによるクローディアスのための演目(プログラム)。

クローディアスがハムレットの意図に気づき、席を立ったためそのプログラムは中止となる。

 

ハムレットのイギリスへの渡航

クローディアスによるハムレットのための計画(プログラム)。

ハムレットがクローディアスの意図に気づき、船を降りたためそのプログラムは未遂となる。

 

 どちらもプログラムというキーワードによって作られています。そしてより細かく見ていくと、一層これらが考え抜かれて作られていることが分かるのです。

 劇中劇は空間的にも時間的にも『ハムレット』の中に一つの場を占めています。それに対してハムレットのイギリスへの渡航は、舞台外の出来事のため空間的には表現されていません。時間的にもそれが舞台上のどの出来事と同時的であるかは曖昧であるし、それを明確にする必要もないでしょう。ハムレットからの手紙は第四幕第六場でホレイショーにあてたものが読まれ、第四幕第七場でクローディアスにあてたものが読まれます。そして第五幕第二場でホレイショーにハムレットからイギリスへの渡航海上での出来事の詳細が語られます。このように分散して表現されています。ハムレットのイギリスへの渡航は、このように表現としては拡散しています。その結果、まるで揮発して見えなくなっているかのようです。それに対して劇中劇が集中している事は分かりやすいと思います。

 この集中と拡散というキーワードは、観客の注意力にも言うことができます。劇中劇を観るクローディアスを、ハムレットとホレイショーはその様子を見逃すまいとし、それを『ハムレット』劇の観客たちが観ます。視線と注意力が重なり集中しています。これに対してハムレットがイギリスへの渡航のため舞台上から去った後には、舞台上では激怒したレアティーズがクローディアスに詰め寄り、さらに気のふれたオフィーリアが歌うというように感情を揺さぶる場面が続きます。つまり観客の注意力はイギリスに向かっているハムレットからはそらされているのです。

 このように劇中劇は内側に集中していき、ハムレットのイギリスへの渡航は外側に拡散していくのですが、おもしろいことにそれぞれのターゲットである人物は逆のあり方をしています。それは劇中劇というプログラムのターゲットであるクローディアスは、このプログラムを外側から観ているのに対して、イギリスへの渡航というプログラムのターゲットであるハムレットは、プログラムの中にいるということです。このように内と外、集中と拡散が交錯するかのように作られており、実に芸が細かいのです。

 この劇中劇とハムレットのイギリスへの渡航をまとめたものが以下の表です。

 

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 次回も引き続きこのハムレットのイギリスへの渡航について考察したいと思います。

*1:ハムレットのイギリス行きの計画は、すでに第三幕第一場の終わりに、クローディアスとポローニアスとの間で話されている。