ハムレットのシンメトリー

Hamlet's Questions and One Man's Answers

25.四体液説と気質

 前回は『ハムレット』第二幕第二場のフォーティンブラスについてと、第四幕第五場のレアティーズとが、対称的に描かれており、どうやらこれらは四体液説による気質のうち、粘液質と胆汁質が表現されているらしいという事を見てきました。 

 今回も、引き続きこの四体液説と気質について書いて行こうと思います。そのため、ここのところネットで四体液説の関連ワードを検索することが多かったのですが、ウィキペディアの「四体液説」にこれらの気質を表現した絵がありましたので、ここにもそれを貼らせていただきます。これを見ると大体どんな性格なのかわかるかと思います。

f:id:ethaml:20211007223923p:plain

シャルル・ルブラン 『四気質』

 左から胆汁質、多血質、憂鬱質、粘液質です。

 また、四体液説による気質を検索してみますと、現代でもこの気質がわりと実用的なものとして用いられている事がわかります。

 特定の体液が過剰となることによって、気質に影響をおよぼし病の原因となるといったその理論的な面は、現代では解剖学と医学によって否定されているでしょう。たとえ血液の量が過剰でも血管を圧迫して高血圧になるだけで、多血質の気質をもたらすという事はありませんし、黒い胆汁が存在するわけでもありません。

 しかし、この四体液説による気質が、現代でも用いられている事の背景には、実用の面では役に立つことも少なくなかったためでしょう。そのような実践を繰り返した蓄積がされており、それぞれの気質のより詳細な分析をネット上に見る事ができます。それをみるとフォーティンブラスは、バッチリ粘液質なのです。それらによると、粘液質は、順応性がありながらも粘り強く、一つのことを持続することができ、待つことが得意なためチャンスに恵まれやすく、それを逃さないのだそうです。これらの特徴は、フォーティンブラスの、デンマークに奪われた領土に対する姿勢にしっかりと符合します。

 また、古典的にはこの四体液は四大元素に対応します。

  多血質:風

     胆汁質:火

  粘液質:水

  憂鬱質:土

 胆汁質が火の元素に対応するのは、わかりやすいでしょう。その性格の熱しやすさや怒りっぽさは火の元素によるもので、胆汁質のレアティーズはクローディアスに対して文字通り「烈火の如き怒り」をぶちまけています。

 粘液質の水の元素も、フォーティンブラスの性質に見られるように思われます。 フォーティンブラスの遠征は劇の始めからしばしば話題にのぼっており劇の終わりにはエルシノア城に到着します。それはまるで水の流れが一定の速度で流れてくるかのようです。また、一度はデンマークへの領土返還のために集めた兵を、ポーランド攻略へと方向を変えさせられますが、最終的にはデンマーク領土を手中にします。これもまた、せき止められたり方向を変えられた水の流れが、結局はもともと向かっていた方向を取り戻すかのようです。

 憂鬱質は土です。ハムレットと憂鬱質とその元素である土はこの『ハムレット』の主要なテーマの一つであり、長くなりますので、これはシンメトリー構成を全て解説した後に、再び取り上げたいと思っています。

 ここまでで、まだ多血質だけが出てきていないのですが、これも登場人物の中に探したい気持ちにもなります。多血質は比較的、健康的な印象で、一般的に子供たちは多血質の性質が目立つともいわれます。楽観的で行動的、自由で開放的。これは、不幸に見舞われる以前の、もともとのレアティーズの気質なのかもしれません。

 第一幕第二場で国王であるクローディアスに、フランスに戻る許可を求める場面があります。

 

レアティー 思いはなんとしてもまたフランスに向かってしまいます。*1

 

 これに対してクローディアスは

 

クローディアス 楽しんでくるがよいレアティーズ、二度とない青春だ、お前の美質を発揮して思う存分にな。

 

 レアティーズは多血質の元素である風のように自由で軽やかです。そしてクローディアスもそれを理解している様子です。クローディアスは続けてハムレットに目をやります。

 

クローディアス さていよいよハムレット、わが甥にしてわが息子―

ハムレット いまさら近親以上と言われても親近とはほど遠い。

クローディアス その憂いの雲がはれずにいるのはどうしたことだ。

 

 どよよ~んとした雰囲気がハムレットを覆っています。レアティーズの心が、フランスに飛び立とうとするのに対して、ハムレットの心は重たい体に閉じ込められているのです。多血質の風の元素と、憂鬱質の土の元素が、それぞれ心に対してどのような働きをするかがわかります。*2

 第二幕第一場でレアティーズの父ポローニアスが、フランスへ行ったレアティーズの様子を探るために使いを送りますが、これは多血質のマイナス面がフランスで発揮されるのではないかと、ポローニアスが心配してのためでしょう。多血質は遊び人でもあるのです。

 どうやらレアティーズのもともとの気質は多血質だったのが、父ポローニアスの死のショックによって胆汁質となったようです。

 さて、このように『ハムレット』の中の父を殺された息子たち3人に、四体液の気質が描かれています。しかし、もっとも重要なのはハムレットの憂鬱質なのです。ルネサンス期に重要視された気質がこの憂鬱質でした。そしてエリザベス朝ではほとんど憂鬱質は流行となっていました。現代のうつ病が流行しているのとは別の意味でです。当時の作曲家ジョン・ダウランドの曲を聞くと素敵な憂鬱を味わうことができます。憂鬱にしているのは洗練されていて、かっこよかったのです。多分もてたのです。いや、ルネサンスの憂鬱質はそこまでミーハーではなく、知的でスピリチュアルなものでした。そしてハムレットの憂鬱質もこのルネサンスの憂鬱質なのです。ルネサンス人文主義者が憂鬱質の中に見た問題が『ハムレット』の中の憂鬱質の中にもあるのです。次回は『ハムレット』の背後にあるルネサンスの憂鬱質について見ていきたいと思います。

 オマケとして、冒頭の四体液説による気質の像のそれぞれに『ハムレット』からの台詞をあてがってみました。やっぱり、わりとしっくりきます。

 

f:id:ethaml:20211017234129p:plain

   憂鬱質         

第二幕第二場でポローニアスに何を読んでいるのかを尋ねられた時のハムレットの答え。母親であるガートルードからは「あそこにあの子がかわいそうに、沈んだ様子で本を読みながらやってくる」なんて言われています。

 

f:id:ethaml:20211017234200p:plain

   粘液質    

第五幕第二場『ハムレット』最後の場面、何人もの遺体を前にし驚愕しつつも、フォーティンブラスは自分の権利を冷静に主張します。

 

f:id:ethaml:20211017233958p:plain

    胆汁質     

第四幕第五場でレアティーズは、王に詰め寄ります。王に対してさらに「忠義など地獄に落ちろ。臣下の誓いは悪魔の中の悪魔にくれてやる。良心も、神の恩寵も、奈落の奥底に蹴とばしてやる」と暴走します。

 

f:id:ethaml:20211017234050p:plain

   多血質     

第一幕第二場でレアティーズは王からの許可を得て、フランスに向かおうとします。とても活動的です。絵はあまりレアティーズにしっくりするわけではないですが、多血質の性質が父が亡くなる前のレアティーズに見られるようです。

 

*1:ハムレット』の引用は、大場建治訳、注解 シェイクスピア選集8 ハムレット 研究社 2004年から、以下同様

*2:プネウマ、スピリトゥスがもともとは大気の意味であったことから、多血質の風の元素もプネウマが持っている機能に近い部分があるのかもしれません。新プラトン主義では、プネウマは魂の乗り物としての意味を持っていました。一方、土としての身体は、新プラトン主義では、魂の牢獄の意味を持っていました。