ハムレットのシンメトリー

Hamlet's Questions and One Man's Answers

29. デンマークの悲劇の誕生

 前回は精気という概念を通してみることによって、オフィーリアの歌う歌とハムレットの手紙とその詩がいかに対称的に描かれているか見ました。それは単に、歌われた歌と書かれた言葉という形式の面だけでなく、その本質的な部分において対称的に描かれている事が、精気を通して読みこむことによって明らかになったと思います。

 おそらくこのハムレットの手紙と詩、そしてそれに対称となるオフィーリアの歌う歌は角度を変えてみる事によって、多くの問題を私たちに見せてくれると思われるのです。そのような意味も含めて、今回はこれらを別の概念によって、さらに読み込んでいきたいと思います。

 その別の概念とは、ニーチェの『悲劇の誕生』の中でギリシャ悲劇の分析で得られた、芸術原理におけるアポロン的なものディオニュソス的なものです。ギリシア神話においてアポロンは光明の神で、文芸や音楽の神でもあります。そしてディオニュソスとは酒と酩酊の神です。そこからアポロン的とは詩歌、彫刻などの造形的な芸術、個体化の原理、理性などを言い、それに対してディオニュソス的とは音楽、個の解体、酩酊、陶酔を言います。この対概念が、このハムレットの書いた詩とオフィーリアの歌う歌について当てはまるように思われるのです。

 まずは ハムレットの手紙について見てみますと、先に見たように、詩の創作は知的な作業であり、韻律を伴って作られた詩は造形的な芸術作品であるということができます。さらに詩、あるいは手紙が紙に書かれ、そこに物質的な形を持つということに個体化の原理を見ることができるかと思います。また、ポローニアスの批判的な態度にもそれを見ることもできるでしょう。これらの点からハムレットの手紙はアポロン的なものが描かれていることがわかります。

 それに対して、オフィーリアの歌う場面を見ると、オフィーリアの姿はまるで酔っているかのようでもあり、狂気による個の解体をそこに見ることができます。そして、言うまでもなく彼女の歌はディオニュソス的な芸術である音楽です。これらからこの場面でのオフィーリアをディオニュソス的なものであると言ってよいでしょう。

ニーチェは『悲劇の誕生』の中でディオニュソス的なものの作用について次のように書いています。

 

ディオニュソス的なるものの魔力においては、単に人間と人間との間の紐帯が再び結び合わされるだけではない。*1

 

 オフィーリアの姿を見、その歌を聞くものたちは彼女の心に触れ、共感せざるを得ませんでした。それはディオニュソス的なものにより「人間と人間との間の紐帯が再び結び合わされ」たものと言えるでしょう。

さらにニーチェディオニュソス的なものに個が解体されることによって現れる人間と自然との関係を先に引用した文に続けて次のように述べています。

 

疎外され、敵視されるか、あるいは抑圧された自然が、彼女のもとを逃げ去った蕩児人間との和解の祝祭を再び寿ぐのである。*2

 

 発狂後のオフィーリアも自然との関係が深くなっているのが、花言葉とともに草花を配る場面からわかります。そしてその最後は自然の中で自ら草花で編んだ冠とともに小川に流れ溺れ死んでしまうのです。

 この二つの場面に登場する植物を挙げてみますと、草花を配る場面では、マンネンロウ、三色すみれ、ういきょう、おだまき、ヘンルーダ、ひな菊、すみれ。ガートルードが語る小川の場面では、柳、きんぽうげ、イラクサ、ひな菊、蘭です。『ハムレット』のその他の場面では特定の植物の名前はほとんど出てきません。強いてあげれば、第二幕第二場のハムレットの台詞「ぼくは胡桃の殻の中に閉じ込められていても無限の宇宙の支配者だと思っていられる人間だ。」の中の胡桃の殻くらいでしょう。そしてこの胡桃の殻に象徴されるように、ほとんどの場面は城壁の内側で演じられます。オフィーリアは、この城壁によって遮断された城内に自然からの花々を持ち込むのです。そして自ら城壁の外へ出て自然の中で命を失います。城壁に個体性の象徴を見れば、ここでもオフィーリアの行為は、ディオニュソス的なものの魔力のもとにあったということができるでしょう。

 このようなオフィーリアの自然との関係は、民間伝承や自然魔術に近い雰囲気を持っているように感じられます。それらのいわば前近代的な自然観は、コペルニクスに代表される自然観と相対立するものといえるでしょう。コペルニクス天文学シェイクスピアの時代には「新しい哲学」として詩人や劇作家にも影響を与えていました。前回、ハムレットの詩の中にそれを見ることができる事を確認しました。

 

星々の火なるを疑うとも

太陽の動くを疑うとも

真実を嘘つきならんと疑うとも

ゆめ疑うなかれわが愛を*3

 

 ここにコペルニクス天文学の影響が見られるように、シェイクスピアハムレットの詩を「新しい哲学」として、それ以前の自然観を発狂後のオフィーリアの中に描きこむことで、それらを相対立する二つの自然観として表現したのではないでしょうか。

 今回でハムレットの手紙とオフィーリアの歌う歌の分析は終わりとします。次回は第三幕第三場で、身を隠したハムレットが神に祈るクローディアスを背後から殺そうとする場面、これと対称となる後半部の箇所の解説です。対称構成のペアで最も中心に位置している部分です。探すべき場所も狭まっているので、容易に見つけることができると思います。

 

*1:フリードリッヒ・ニーチェ 塩屋竹男訳 『悲劇の誕生ちくま学芸文庫 1993

*2:前掲書 なお、引用文中の「彼女」とは「自然」をさす人称代名詞です。

*3:ハムレット』の引用は、大場建治訳、注解 シェイクスピア選集8 ハムレット 研究社 2004年から