ハムレットのシンメトリー

Hamlet's Questions and One Man's Answers

44.「ハムレットはなぜ復讐を遅らせたか」と100年間問われなかったのはなぜか

 『ハムレット』の批評では、なぜハムレットは復讐を先延ばしにしたのかという事が、しばしば問題として取り上げられます。後藤武士の『ハムレット研究』でも第4章が「復讐遷延論」として設けてあり、18世紀から20世紀までの間、この問題がどのように考えられてきたかを見て取ることができます。*1

 しかしこの後藤武士の『ハムレット研究』「復讐遷延論」で着目したいのは、その冒頭で「Hamletが書かれて100年間は、なぜハムレットが復讐を遅らせたかを問題として取り上げる者はいなかった」と書かれていることです。これは言い換えれば、18世紀以降にこの事が問題として取り上げられるようになったという事です。なぜハムレットは復讐を遅らせたかより、なぜその問題が18世紀以降に問題として取り上げられたのか、まずはそれについて考えてみたいと思うのです。そのためには、『ハムレット』が書かれてからの100年、そしてその後の18世紀以降がどのような時代であったかを考える必要があります。

 『ハムレット』が書かれた時代はこれまで考察してきたように、世界観の転換を強いられた時代でした。それまではアリストテレスの思想のもとに天文学と医学、生理学が密接に結びついていました。天文学と医学、つまり星辰や惑星と人体の体液や生命力が結びついており、これらを結び付けているものが精気でした。すでに見たように『ハムレット』の中にはこの精気を前提とした世界観の名残というべきものがあると同時に、やがてそれを駆逐する思想の芽生えも見られます。

 『ハムレット』が書かれてからの100年とは、この精気を前提とする旧来の世界観が新たな世界観にとって代わる過渡期だったということができるでしょう。『ハムレット』が書かれた17世紀初期には、精気はその時代の知見や発見に合わせて考察されうる概念としてありました。しかしその後の17世紀科学革命によって、精気的世界観は徐々に衰退していき、それまで世界に満ちているとされていた世界精気は極めて希薄な物質であると解釈されるようになります。

 さらにこの科学革命によって機械論的な世界観が進むと、精気が担っていた概念も取り払われ、機械仕掛けの時計が世界モデルとなります。シェイクスピアの24年後に生まれ、17世紀中葉に活躍したトマス・ホッブスは機械論的世界観によって、動物から人間、知的活動や国家までも機械とみなしました。世界を満たしていた精気の役割が全て機械に置き換わったと言っていいでしょう。この後にはラ・メトリーの『人間機械論』が1747年に出版されます。

 18世紀になると啓蒙思想が広がり、その理性の光によって旧来の考え方である精気的世界観は闇へと追いやられていきます。ハムレットの復讐遷延が問題として取り上げられ始めるのもこの啓蒙の時代、精気的世界観が失われてしまった時代からです。この事とハムレットの復讐遷延には何らかの関係があるのでしょうか?

 ハムレットが復讐を遅らせたとして取り上げられることが多い場面が、第三幕第三場です。ここでハムレットは、罪の許しを神に祈っているクローディアスの背後から殺害を狙うがやめ、復讐を先送りにします。この場面について、前回、「43.精気から見る『ハムレット』第三幕第三場」として考察しました。

繰り返しになりますが、その内容をもう一度簡単に振り返ってみます。

 ハムレットはここで復讐を先送りにする理由を明確に語っています。神の前で自らの魂を清めて祈るクローディアスをそこで殺害しては、浄められた魂によって天国へ送り届けてしまうことになる。地獄に突き落とすには、救いようのない行為の真っただ中で仕留めなくてはならない、と。

 一方のクローディアスは自らの罪の許しを祈っていながら「言葉は天を目ざすが思いは地にとどまる、思いを伴わぬ言葉は天に行き着くことができない」という印象的な言葉で自分の祈りが天に届かなかったと嘆きます。

 ここでハムレットがクローディアスへの復讐を断念した背景には、クローディアスの精気が祈りによって浄化され地上的なものから引き離されているものとハムレットは判断し、その場で殺害すれば清められた精気によって魂を天へと送り届けることになると考え、殺害を思いとどまったのです。

 それに対して、クローディアスは前王の殺害によって手に入れた利得から離れられないことで、本来的には魂と天との間の媒介者となりうる精気は地上的な重みを増し、その結果、祈りの言葉は天に届かず、魂も救済されないと感じています。

 精気が天への梯になりえるものでありながら、地に縛り付ける重荷にもなる。そしてそれが舞台上では見えなく、緊迫した二人の独白によって語られる。それが精気の観点から見たこの場面での面白味だったのではないでしょうか。そしてこの事が18世紀には精気の概念が失われたために感じられなくなった結果、ハムレットが復讐を先送りにした理由を実感をもって理解できなくなってしまったのではないでしょうか。

 18世紀にシェイクスピア全集を編纂したトマス・ハンマー(16771746)は1730年に次のように述べています。「この若い王子は、何故出来るだけ速やかに簒奪者を殺さなかったのか、物の道理から言ってその理由が何も見当たらない」*2 この「物の道理」という言葉が18世紀の啓蒙の時代の道理であることは言うまでもないでしょう。

 精気的世界観が失われると、英語で精気を意味するspiritの意味も変化していきます。古代からの意味を継承してspiritは精気であり精神であり霊でもありました。世界を満たし天と地を媒介し、さらに生体に流れ精神と身体を媒介するものでした。しかし時代が進むと、これら広がりをもったspiritの意味のうち実在するとされたのは精神だけとなります。

 18世紀後半からは復讐遷延論がハムレットの性格と心理分析が中心となり、ハムレットの独白は復讐を遅らせる無意識的な言い訳と解釈されます。そして20世紀は精神分析によってそれが検討され、エディプスコンプレックスとしてハムレットが解釈されるのです。これらはspiritという言葉の意味から、精気や霊といった意味が信頼できないものとなってしまい、精神だけが信頼に足るものとして残った事と無縁ではないでしょう。

 復讐遷延の理由として、これまで考えられてきたものの一つにハムレットの憂鬱質の問題があります。20世紀初頭にブラッドレーは『シェイクスピアの悲劇』の中でハムレットの行動と心理を分析し、ハムレットが復讐を遅らせたのは、憂鬱質であったためだとしています。*3シェイクスピアハムレットを憂鬱質として描いていること、そしてそれが復讐遷延の原因となっていることは確かでしょう。しかしブラッドレーはあまりに心理分析に傾いている面があります。19世紀から20世紀にかけては心理学と精神分析の時代でした。ブラッドレーのハムレットの憂鬱質の分析は、そのような時代からの影響があったものと思われるのです。 しかし、ハムレットの憂鬱質を正しく捉えるには、ルネサンスの医学、生理学から憂鬱質を見ていかなくてはならないでしょう。それについてはすでに「26ルネサンスの憂鬱質」で見てきました。

symmetricalhamlet.hatenablog.com

 そしてこのルネサンスの憂鬱質は、やはり新プラトン主義の世界観に大きくかかわっていた事もすでに「40土星の子供としてのハムレット」で見てきました。

symmetricalhamlet.hatenablog.com

ハムレットが復讐を遅らせたのは、確かに憂鬱質という性格を際立たせるためのなのでしょうが、その憂鬱質は当時の新プラトン主義の世界観とその問題をこの劇作品の中に練りこむためのものだったのだと思うのです。

 

*1:藤武士『ハムレット研究』研究社出版 1991年 119ページ 

ほぼ同じ問題を扱った後藤武士の論文『ハムレットの"delay"論再考-20世紀Hamlet批評の推移ーをネット上で読むことができます。

http://ypir.lib.yamaguchi-u.ac.jp/bg/147/files/135403

*2:ブラッドレー 中西信太郎訳『シェイクスピアの悲劇(上)』 岩波文庫 1938年 121122ページ

*3:ブラッドレー 中西信太郎訳『シェイクスピアの悲劇(上)』 岩波文庫 1938年 160ページ