ハムレットのシンメトリー

Hamlet's Questions and One Man's Answers

3.ルネサンスのシンメトリー

 前回、『ハムレット』の中にシンメトリー構成があるのではないかとしたキース・ブラウンの説を検討してみました。*1

 私自身も『ハムレット』の中にシンメトリー構成を探してみたわけですが、その結果を記す前に、前回シンメトリーがルネサンス期の芸術において重視されていたと書きましたが、その事について簡単に見てみたいと思います。

 シンメトリーに描かれた有名なルネサンス絵画としてレオナルド・ダ・ビンチの『最後の晩餐』とラファエロの『アテネの学堂』が思い浮かびます。ミケランジェロの『最後の審判』やボッティチェルリの『ビーナスの誕生』などもシンメトリーです。

 ここで取り上げたいと思うのはラファエロの『アテネの学堂』です。中央のプラトンアリストテレスを筆頭に古代ギリシアの哲学者たちからゾロアスター、さらにはイブン・ルシュドまで描かれているといわれています。

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ラファエロアテネの学堂』

 ルネサンスとは古典古代の復興といわれますが、ここに描かれている古代人たちは、皆ルネサンスには重視された哲学者、あるいは宗教家です。時代も場所も異なる古代人を一同に集めて描かれています。

 そのためこの絵が現実にはあり得ないと野暮なことが言われたりするのですが、むしろルネサンス精神世界の現実が描かれているということができると思います。この絵画の主題こそが古典古代の復興という意味でのルネサンスそのものという事もできるでしょう。

 前列右端でコンパスを使って円を描いている人物がいます。これはエウクレイデスだといわれています。この人物も当然ルネサンスに重視された人物で、『ユークリッド原論』を編纂した人物です。

この『ユークリッド原論』はエリザベス朝に英語に翻訳されています。そしてこの英訳版『ユークリッド原論』の序文を書いたのがシェイクスピアとほぼ同時代人のジョン・ディーです。この序文の中でディーはローマの建築家であるウィトルウィウスに言及しています。

 ウィトルウィウスはその著書『建築十書』の中で神殿建築におけるシンメトリーとプロポーション(比例)の重要性を記しています。これがルネサンス芸術の調和を重視する思想的バックボーンになったといわれています。

 また、ウィトルウィウスは『ウィトルウィウス的人体図』でも知られています。これは誰もが一度は見たことがあるレオナルド・ダ・ビンチの素描です。

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レオナルド『ウィトルウィウス的人体図

 ウィトルウィウス的人体図は他の画家も描いているのですが、有名なのはやはりレオナルドのものです。○と□の中に納まった人物の素描です。この絵画によって人体の調和した比例が表されています。『アテネの学堂』も円と矩形で構成されていることが分かり、そこにウィトルウィウスの理想をみることができるでしょう。

 さて、このルネサンス芸術に大きく影響を与えたウィトルウィウスですが、その重要性はジョン・ディーによって『ユークリッド原論』とともにイギリスへ伝えられたわけです。それが出版されたのが1570年ですからシェイクスピアが生まれて6年後のことです。それから『ハムレット』が執筆されるのが約30年後です。このようにルネサンスの歴史をたどると『ハムレット』がシンメトリーに構成されているとしてもありえない事ではないと思われるのです。

 

*1:正確には『ハムレット研究』のABCDEF/FEDCBA symmetriesの表